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通信業界特殊偵察部隊のモノゴトの見方、見え方、考え方

「言語は相手に意思を伝える手段」再考

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友人と話をしているなかでふと思い出したのですが、実は私、1980年台後半のまだ20代半ばの若造の頃に、海外のスタッフも巻き込んだ訳の分からん事案を俺にぶん投げたままいつの間にやら海外出張に行ってしまった当時の勤務先の「同僚(というか先輩社員)」に、海外も含め関連するマネージャー各位や関係者各位を全部CCに入れて英語で滅茶苦茶に怒ってるメールを送ったことがあります。

 

記憶をたどると、こんな事件があったんです

記憶をたどると、確か「海外から〇月〇日に(当時の勤務先であった)デモセンターに数人訪れるので、よろしく」と詳細も何もないぶん投げメールが来て、確認しようにもメールの返事もなく電話にも出ず、ようやくその人の所属組織の人に連絡が取れたら既にお客様来場予定日のずいぶん後まで当の本人は日本にいないとか、もう何を言ってるのかわからない状態。

で、いったい何人が何時に来るんだよ的なところもわからないまま当日を迎え、結局数人が来てしまい、しかも連絡を受けていた内容とは違うものが見たいとか言い出して大騒ぎになったんですよ、確か。

でもって、お客様がお帰りになった後、件の「同僚(というか先輩社員)」に、本当に烈火のごとく怒り狂ったメールを送ったんです。そりゃ、温厚な私でも怒り狂います。

 

怒るときには怒る。全力で怒る。

因みに、いわゆるインターネットの商用解放前で、メールといっても社内系として使わてれていた「メインフレーム」ベースのメールシステム。しかも送るべき相手は海外にいて、日本語の使える端末機器が無い環境。もちろん関係者に海外の人間が含まれていたので、「しゃあない。英語で暴れるか」ということで怒りのメールを打ったわけです。

それについていろんな人から「(書いてる英語自体の問題から)言ってることは半分くらいしか分からんが、とにかく滅茶苦茶怒ってることだけは伝わってきた。」とか「あんなに英語で怒ってるメールって初めて見たよ。」と言われたりはしました。海外の人間からも似たような反応が返ってきたので、とりえあず所期の目的は達したようです。

 
学びに飽和点は無いんですが

いや、これは本当に思います。
たださすがに歳をとってくると色々と鈍くなってきたりしますからという言い訳をしつつ、結局今でもひどい英語しか使えないのですけれど、それでも今よりも全然英語という言語が使えなかったあの頃。
でも言いたいことを伝えることはできたわけで、それ以降も英語が必要とされる場には時々いるのですが、その経験がひょっとしたらなんかそれ以降にいい加減な英語に気合と勢いを足して仕事を渡り歩いてきた切っ掛けの一つになったのかもしれないという気はしています。

因みに余談ですが、そのメールを打った1980年代後半の私って割と映画を見てた人でした。ただしそのほとんどがその頃集中していくつも制作されていたベトナム戦争を題材にした映画ばかりで「日常会話としての英語」の知識と語彙が上品な方向ではなくそういう方向に大きく寄っていたのは事実。それもあってか「その言い回しを文字にするには覚悟がいるぜ」的な表現をいっぱいちりばめていたんです、たしか。

 

そんなことをふと思い出しました。
別になんの自慢にもなりませんが。

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