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通信業界特殊偵察部隊のモノゴトの見方、見え方、考え方

クルマのシフトレバー論からユニバーサルデザイン論へ

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「お前がその話をするのか」的な話ではありますが、ここであえて車のシフトレバーの話をしてみたいと思います。自分自身18歳の夏に普通免許を取ってから35年以上何やかんやとクルマに乗り続けています。いわゆる乗用車から4トンロングトラックまで、まぁいろいろ。そこはそれ、工業製品ですからそれぞれの歴史的経緯や設計思想、用途その他いろいろあるわけで、その多様化が今日の姿の背景になっていると思ってるのですが...

 

自分の観測範囲という観点

これはもう仕方ないです。もちろん私自身も専門のジャーナリストでもなんでもないですから、運転したことのあるクルマなんてたかが知れてます。でも、多様性が非常に色濃く出るクルマの世界、それこそマニュアルであってもATであってもクルマによって千差万別なので特定の車のデザインがどうのこうのと言う話ではないと思っているんですが、それでもなんか皆自分の観測範囲で色々言ってるなぁと思ってはいます。自分の好きなクルマや所有してるクルマの事を何かしら否定的に言われると暴れる気持ちも判ります。それは当然だし、その良し悪しは別として。

 

機能性に関するデザインの多様性は悪か?

誤発進などによると思われる事故を防ぐためにも、ユニバーサル・デザインという観点から間違いにくいデザインにするべきだという議論自体を否定はしたくないと思っています。その主張自体はある部分正しい。ただしすべてを統一しようにも、どういう形が最良な解なのかというのは、その「製品」の設計思想や用途、あるいはかけられるコスト、更には使用する人をどう想定するかなどなどによって全く違っくるはずで、個人的には唯一の解というのはあるはずもないと思っています。

 

多種多様な形の存在は悪か?

それをふまえつつ、たとえば乗用車という観点から考えてみても、実際のところ例えばマニュアルシフトのレバーでもシフトレバーのグリップの下のワッカみたいなのを引き上げないとリバースに入らないとか、リバース自体も右下とか左下とか色々あるわけです。マニュアルでも1速が左上と左下のケースもあります。

また、ATのセレクターを動かすにしても単純に前後もあれば階段状のゲートを動かす必要のあるクルマもありますし、マニュアルモードを使う時に前後に動かすのもあれば左右に動かすのもあります。

パーキングがシフトレバーの上に付いたスイッチもあればPポジションがある車もあるしダッシュボードのスイッチってのもあります。そうそう。そういえば前後に動かすATのマニュアルシフトにしても前に倒すとシフトダウンするのとシフトアップするのがありますね。私自身の経験として、同じメーカーのクルマを乗り継いだら前のクルマでは前がシフトアップだったのが次のクルマでは前はシフトダウンになっていて、頭では理解していたけれど最初はエライ迷ったっていう経験があります。

因みに別のメーカーのクルマでマニュアルシフトの時にレバーを左右に動かすクルマがあったのですが、短時間乗っただけでは体が付いてゆきませんでした。とはいえATのセレクターレバーは結局のところ要はスイッチなのでどうにでもできるわけですけど、逆にいうと設計思想が現れやすいパーツの1つなのかも知れません。

 

好き嫌いと慣れの間で

あ、そういえば、「左足で踏み込む形のサイドブレーキ」というのは未だに好きになれません。過去一時期その形のクルマに乗っていたことがありましたが、基本的には手でレバーを引き上げる形じゃないとなんだか落ち着きません。これは私自身の趣味嗜好の問題なのである意味仕方ないのではありますが、私の場合は仕事で乗るクルマの殆どがこのタイプという状況だったりするので、時々あれっ?とかなったりします。

そういえば異なるメーカー間でのヘッドライトのスイッチの多様性についてはもうどうしようもないですし、ウィンカーが右なのか左なのかとか、もういまさら誰も余り何も言わなくなった多様性の部分もあったり。

更にそういえば、昔、足回りにバネのないフランス製のクルマに乗ってました。このクルマ、奇怪な機構満載で有名だったのですが、レバー1つで車高を上げ下げできたとか、クラクションのボタンがウィンカーレバーの先に付いてたとか、本気で慣れの必要なクルマでしたが楽しいクルマでもありました。同じ車の初期型はウィンカーのスイッチがメーターの脇についてたり。更にご先祖のクルマはブレーキのペダルすらなく、そこにはゴムのボールが床についてたりと、思想の多様性が本当にクルマの形になってました。今でも好きなんですが、諸般の事情で泣く泣く手放したのはもうずいぶん前です。

 

ユニバーサルデザイン化は夢?

正直、それぞれの設計思想とデザインの違いが自分が金を出して買う際判断基準になるわけですし、そこに違いはあって良いと思っています。もちろん慣れを拒絶するほど特殊なデザインであれば別ですが、自分がこれなら大丈夫じゃないか面白いしこれが自分のものとしてあるならそれは良いやと思えるなら、それはそれで良いと思うんです。

じゃぁレンタカーはどうよと言う話になったりすると面倒になりそうですが、少なくとも借りる際に車種は選べるわけですから、少なくともその時点で借りる側が判断できる可能性があるんじゃないかと思います。因みに商用車の場合にはそもそも求められるものが自家用のクルマとは違うので、いわゆる自家用とは別に考えてよいと思っています。

ただし、いずれにせよそれが操作を間違い易いデザインであるというのであれば、それはデザイナーの責任としてそうではない方向に換えるべきだとは思います。でも、操作する側には当然責任があるわけです。もちろん、どんな高齢になっても自分でクルマを運転しないと生活ができない環境というのは理解できるので、日常の道具としてあってはならないほど奇を衒ったものであれば排除されるべきだと思います。

でも、それらの多様性が間違いの元なんだからそんなの統一しろという議論になるのはどうかと思いますし、特定の形が最高最良であるとか主張するのはおかしいし、逆に自分が馴染んだものを否定されたと考えて暴れるのもいかがなものかと思います。

これはいろんなものに通じる話だとは思うのですが、使いやすさの感じ方、あるいは使い方そのものは多様であり、誰もが同じことを感じることはあり得ないという理解から議論を始めないといけないんじゃないかなと思ってます。ユニバーサルデザインとは1つの解しかないわけではないはずなんですよね。きっと。多分。

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