ケータイの画面保護シートを剥がして画像の綺麗さを再確認する
よくよく思い出すと、自分が契約したケータイを最初に持ったのは1996年。既に保証金が要らなくなった時期(というかそういう時期があったんですよ)でしたが、何しろバッテリーの持ちが悪くて、常に予備バッテリーと充電のためのACアダプターを持ち歩いていました。因みに今メインで使っているのはXPERIA Acroで、これも自分の使い方の問題もあってか御他聞に漏れずバッテリーの持ちが悪く、本当に持ち歩くとき以外は常にACアダプターに繋がっている状態です。
ただ、今日のお題はそういう話ではなくてですね…
画面保護?覗き見防止?でもそれなりにボケる画面
実は随分昔から新しい機種を手に入れたらほぼ同時に画面保護用、もしくは覗き見防止用のフィルムをがディスプレイの部分に張っていたのですが、それが習慣になったのが何時からなのかよく判りません。ただ、最初に自分として手に入れたモノからずっとだったような気がします。機種変更するモデルを決めて事前にフィルムを購入し、機種変更手続きをしたその場で貼った事もあります。
因みに1990年代半ばまでは基本的に文字が表示されるものでしたから、多分画面保護がメインだったんだとは思います。その後サイトの閲覧ができるようになったあたりから画面保護というよりは覗き見防止のためのフィルムを張っていたような気がします。
ただ覗き見防止用フィルムはどうしても構造上輝度が落ちるし経年劣化もするので、たまに貼り替えたり機種変更したあと自宅で目覚まし時計代わりに使うようになったりして剥がしたときに「こんなに画面明るかったっけ?」と驚く事が良くありました。でも、現用機には必ず貼っていたんですよね。
でもスマホになってよくよく考えてみると、画面表示の綺麗さをスポイルしてるよねこれって
もちろんフィルムに寄ると思います。更には傷が付きにくいとか覗き見云々とかの能書きはとてもよく理解しています。このフィルムのお陰で落っことしたときにも殆ど傷がつかなかったり、あるいは貼りなおしたらまた綺麗になったりってのは何度も経験しています。
でも、貼ってる限りは設計者が最初に意図した画面の状態ではないわけです。更には、それなりに傷が付きにくいコーティングを製品としても実施してるわけで、ならばもっと綺麗な画面表示をチャンと見ようという気になって、何となくフィルムを剥がしてみました。思い起こせば手に入れてから1年くらい経つわけですが、画面に直に指を触れるのは殆ど初めてです。感触は全く新品同様。しかも、いや、これは別に1年前の機種を褒めてどうするんだよ状態ではありますが、我ながら綺麗な表示だよねと感慨にふけってしまいます。そう。これがある意味、あるべき姿。
カメラの場合であれば余計なフィルター嫌いな私としたことが
写真は勿論、普段の画面表示もとても綺麗。いや、だからこれが本来の姿であるわけなんですけれど、今更ながら感心してしまいます。でも何でそんな事を思い始めたかって?いや、たとえばiPhoneの新しいのがどうのこうのとか、iPadの最新のがどうよとか色んな話が飛び交い、それと並行してAndroid系のどれがどうのこうのという話が巷に溢れているわけですが、元々カメラ好きな私として、そもそもは余計な、あるいは質の良くないフィルターをつけるくらいなら傷を覚悟でレンズむき出しで使ったほうが良いんだという主義主張の持ち主でもありました。
それがなんだか解らん(いや、一応買うときに諸々確認はしますが)フィルターをつけて、お陰で輝度が落ちたり何となくボケたり角度によって非常に見えにくくなるのをケータイの画面では許容してたんですね。でも、なんだか嫌になっちゃったんです。で、剥がしちゃいました。そしたら、やっぱり綺麗なんですよ。別に何とかかんとか言う方式のディスプレイじゃなくても。
因みに最近立て続けに実は同じようなことをiPhoneやiPod Touch、あるいは昔使っていたガラケーでも確認(あるいは確認?)していたので、ならば自分の現用機もそうしちゃえ!という話なんですけれどね。
もちろん傷が付くのは嫌だし怖いんですけれど
もちろん画面に傷が付くのは嫌だし怖いんですけれど、綺麗な絵を見ちゃうと戻れないのも正直な話。ということで、この表示の綺麗さを維持するために何も考えずに鞄に放り込んだり机の上に放り出したりしないようにしようと改めて思った次第。ただし新しい機種の更に綺麗な画面を見ちゃうと、どうせフィルムを貼るんだからといい加減に考えていた部分に今まで以上に気を取られそうな気がします。折りしも各社の夏モデルが揃った中、中には出荷待ちのモノもあるわけですが、本体の割賦支払がそろそろ終わるので、さてどうしようかと思案中。
いや、そもそも仕事柄通信ネタには触れ辛い私なのですが、少なくとも個人で使うケータイやスマホはあくまでも自分の趣味と主義と主張と好き嫌いの塊だったりします。