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通信業界特殊偵察部隊のモノゴトの見方、見え方、考え方

震災からほぼ17年経った神戸を改めて眺めた年末年始

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自分の、そしてカミさんの実家がある神戸の話、そして阪神大震災に関する話を何度と無くエントリーに書いてきたのですが、とりあえず17年目となった今日も、やっぱり色々と考えています。17年前のその日は私もカミさんも神戸にはおらず、テレビの報道にジリジリしながら必死にそれぞれの実家や親戚のところに電話を掛け続けた日の事は今でも思い出します。そして、そのあとの年月がどういう風に流れてきたかと言うのも(そこに住んでいるわけではありませんが)自分の家族の事、知人友人の事として一緒に過ごしてきたという意識は持っています。

もちろん、その場で何が本当にあったのか、どうやって今に至っているのかと言うところを自分の体験として持っている訳では有りません。でも、自分の事としてそれらを受け止める事ができる位置にはいると思っています。そして、昨年の3月の震災。考える事、考えるべき事は絶える事が無い今日この頃。

 

もう多くの方が新たに理解し始めている、復旧と復興の違い

精神論というか正論の世界かもしれませんが、一度何か起きてしまいそれ以前の社会を構成していた色んなモノが変わってしまうと、基本的には元に戻すことは非常に困難です。これは別に震災のような大きな災害に限らない話ですが、単純に復旧を目指すのと新しい形を作り上げてゆく復興とは全く別次元の話だったりします。

災害という面で言うと私自身が直接触れたことのある例としては阪神大震災の例しかないんですが、社会の方向や行政の施策の中でどのように段階を経てどのような形に持ってゆこうとするのか、してきたのかと言うところは手探りでやるしかなく、そしてその評価は直接関与した人たちとは別のところでなされる部分があったりして、非常に難しいものです。ましてや昨年3月の震災の被害の広がりや規模を考えると、確かに誰も経験したことのない世界に踏み込んでいるのは私ごときがここで改めて指摘する必要もありません。

そんななかで、私が何をできるのか、私が何かをする人をどうやったらサポートできるのか、後世にそれらを伝える事の何かができるのか、なんだかんだ・・・ そんな中、早晩大きいのが関東から東海にくるぞという話は昔からあるわけで、そうすると今度は完全に自分の問題としてそこに対峙する必要がでてくるわけで、そのためには自分は何を備えているべきなのか。

既に思考のループに入ってる場合じゃないような状況ではありますが。

 

変わらないことと変わってしまったこと、そして変わり続けること

これは、その土地に住んでいる人としての評価と住んでいない人の判断とでは全く違うわけで、何が良い悪いという次元の話ではありません。そして人の心の問題はそれぞれの話なので、更に別の次元の話。ただ17年も経てば普通に色んなモノが移り変わるわけで、たとえば明石から神戸芦屋西宮といった地域はその歴史を踏まえて今があるわけです。

自分はどうするのか
これからどうしてゆきたいのか
何をどう守りたいのか
などなど、などなど・・・

そんな事を毎年考える1月17日、そして今日はその17年目だったりします。

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