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通信業界特殊偵察部隊のモノゴトの見方、見え方、考え方

タブレット端末(っていうかiPad)のある風景

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いわゆるタブレット系の端末の興隆の中でiPad独り勝ちという話がMediaを中心に喧伝されつつありますが、とりあえず諸般の事情により私の手元にはiPadがあったりします。諸般の事情の中には別にiPadじゃなくても良かったとか色々含まれるのですが、とりあえず手元にある。で、世の中的にこういう端末をビジネスの場で色々生かそうぜという話が渦巻いていたりしますが、とりあえず私の場合には仕事用途4割、私用6割くらいでしょうか。ほんでもってその私用の中には家族がそれらに触れるという時間も含まれているような状況でありまして・・・

 

PCじゃ面倒くさいけれどちょっと見たいもの、という何かの存在

もうかれこれ30年近く仕事の場で朝から晩までPCの画面を睨みつけている私の場合、正直家に帰ってまでPCを立ち上げて何か作業をする気にはそれほどなれません。勿論そういう考えは人に寄るでしょうけど、少なくとも私の場合、何か画面を見るにしてもリモコンでスイッチ入れて何か映って何か喋ってくれる伝統的なテレビの方が余程気が楽です。勿論必要であればPCは使いますけれど、平日帰宅してから、そして休日には出来る限りPCの画面など見たくも無いという人です。

でも、ときどきPCをわざわざ立ち上げるのは嫌だけれどちょっと調べ物をしたいとか、あるいは子供と一緒に何か見たいとかっていうときもあります。ただ、家に帰るととりあえずPCの画面を見たくない私の場合、どうしてもそのアタリの動きが鈍くなる。でも、そういったところの壁をとりあえず除いてくれるっていう効用があるのかもしれないな、と言うところに最近気が付いてきました。

そんなの最初からメーカーとかも言ってるでしょって?

もちろんそんな事は百も承知。特にプロモーションの世界に20数年前から携わってきたワタシ的にも嘗てAppleが作ったKnowledge Navigatorという有名なプロモーション映像をはじめ、SFともつかないような世界を未来の映像だという触れ込みで色んなところが作ってきたのを自分の歴史の中で知っていますし、そもそも自分自身が直接制作に携わった事も何度もあります。だから、そういう世界自体がどういうものかという夢のところは良く理解しています。ただ、正直、それらに対して自分の生活の中に置き換えた状態での実態感が若干希薄だったのは事実です。だって、家に帰ってまであバターか何かが出てきて「メールですよ」とか「どこに行きますか?」とか余計なこと言われたくない人なんですから。

 

娘とカミさんがiPadをあたかも雑誌を覗き込むように見ている風景

実は私の小学校真ん中あたりの娘がバレエを習っています。幼稚園の頃から純粋に本人がバレエに興味を持って何年もやりたいと言い続けていたので始めたのですが、自然と「上手な人の踊りを見てみたい」という欲求が出てくるわけです。勿論テレビ番組とかで放送されると録画して色々と見たりしますが、ある曲のある部分の踊りだけを見てみたいという話になると、どうしてもいわゆる動画系のサイトを探す事になります。

もちろんそんな話はPCでも出来るわけです。というか出来ないと困るわけですが、机の上のディスプレイを見る作業というのはどうにも自由度が無い。でも、まぁ、そんなときにそれでもPCで色々と見ていたのですが、あるとき、ふと気が付きました。

ここにiPadがあるじゃん。

ってことで、娘に渡してとりあえず検索の方法だけ教えたら(というかPCと同じなんで難しくも何ともないですが)、勝手に探して、勝手に色々と見て、そのうちカミさんを呼んできて色々と話をしながら一緒に覗き込んでいます。

まるで雑誌か何かを2人で覗き込んでる雰囲気。

 

そりゃ画面だけだったらテレビの大画面の方が良いかもしれなし、操作ならPCの方が楽かもしれませんが

この、2人で覗き込みながら色々と見ていろいろと話をしてあれやこれやという世界ってのが、実はとても自然なんですよ。そんなの昔からみんな(って誰?)言ってるし、Appleをはじめメーカーや通信事業者も言ってるし・・・? いや、まぁその通りなのですが、お題目としてのそういう話ってどうしても上滑りするところがあったりします。これは自分がプロモーションを中心としたマーケティングの活動を担当いていたときから良く理解しています。だからこそ、製品側の人の謳い文句をユーザーの問題に置き換えるという作業が必要なわけで、だからこそマーケティングの人間の介在が必要な訳ですが、そこの限界とかについてはよく判っています。

でも、分析的に考えると、ユーザーという立場から「自分にとって便利そうな道具」であると認識した途端にそういう謳い文句どおりというか、その先にあっという間に行っちゃうんですよね。これはマーケティング上のメッセージの限界でもあるわけですが、その手前のところの入り口までを提供できれば御の字だと思いつつ動いていた自分の過去の経歴での葛藤と極稀な達成感との間にあったギャップの事が思い出されたりします。

いや、でも、事は自分の家の中の事なので、そんなに分析的に物事を考えても仕方ありません。とりあえず諸般の事情により家にあるiPadですが、とりあえず役に立ってる風景を見る事が出来るのはひとつの大きな成果・・・じゃないですけど、なにか得るものがありそうな気がしています。

 

私が今更ながらと関心するような話じゃないですけれど、誰がどんなに褒めようが不要なものは不要だし、でもそんなのとは全然無関係に使いたいと思うものは使おうとするし、そもそも使うのが楽しいう経験は、そしてその風景に接するのもこれまた非常に大きな経験なんだろうなと改めて思った次第。でも、間違えちゃいけないのが、それ自体を使うのが楽しいんじゃなくて、それを介して触れる世界が楽しいというところで、ここが「提供者視点」から往々にして欠落するんですけどね。

 

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