再考:スーパークールビズは今年だけの祭りではないという理解。そして「失われる10年の入り口」論
先日も同じような内容でエントリーを書いたのですが、7月1日を目の前にしてどうしても気になることを含め、再びエントリーにします。
震災とその後の混乱から各所7月1日あたりから本格的に「スーパークールビズ」が導入されようとしています。企業活動への影響を最小限にししつつ電力事情を考慮して色々な取組を行うというものであるわけですが、全体をどこでバランスさせるかというのが大きな問題。単にオフィスの室温を上げてエアコンによる電力消費を落とそうというところから、出勤日や休日の調整、そしてそれらを含めた企業活動そのものから社会全体としてバランスをどう取るか。単に政府や監督官庁からの要請に応えるというだけでは済まない、非常に大きな影響が出るわけですが、その行動自体は既に避けて通れない状況になっています。しかも、当初は東京電力や東北電力管区内だけだった話が回りまわって殆ど全国規模で実施されないとどうしようも無い状態。
でも、ここで冷静に何度も考えなくてはいけないのが、これはお祭りでは無いというコト。そして、それは今年だけで終わると思わないほうがきっと良いというコト。
景気後退を避けられると本気で誰が思っているんだろう
時短やサマータイムの導入がどの程度実際に行われるのか判りません。工場などでの時短はそもそも生産能力調整を意味しますし、素材まで含めた周辺への影響は当然あるわけです。なまじITの力で活力をなどと夢物語を語る状況ではありません。また例えばサマータイムに至っては、通勤に1時間以上かかるのが当たり前の首都圏などでは生活そのものに非常に大きなインパクトが出るのは私自身が自分の問題として考えることが出来ます。
更に労務管理上の問題として、残業が定常化しているなかで退社時間を早める話が現実問題としてどこまでできるのか。電気が大変だから早く出てきているのに、更に夜まで残業していれば電力消費には何も役に立たんではないかという議論が出るのは当たり前で、結果的に時短を奨励しないと意味が無い。
ただしここに恐ろしい落とし穴があって、乱暴に考えると結果的に残業代カットというコトに結びつくわけですが、残業代が事実上給与の一部と化している状況の中、じゃぁ飲み屋の開店を早くしましょうとか言う話をしたとしても購買力がどこまで維持できるのかといった全体を見渡す視点で経済全体で考えないと、結局傾向としてデフレに振れて来ない?という心配すら出てくるわけです。
しかも、それも今年で終わる話であれば良いのですが
前々から主張していますが、電力事情が秋以降劇的に改善する可能性は無いわけです
自然エネルギー云々に関する議論はそこらじゅうで出ているわけですが、誰が何と言おうと安定的に電力を供給していた原発が止まったり定期点検から運転再開を行うことが(個別に事情は違いますが)困難になりつつあるわけです。火力を増やすならば燃料代は当然電気代に跳ね返ってくるし、京都議定書の話なんて多分今や誰の頭の中にも無い。
ここは冷静に考えないと駄目です。
事情が好転したとすればそれはそれでわが身とわが国の幸せを喜ぶくらいの余裕は持たせつつ、それらの事情を踏まえると、大前提としてスーパークールビズの後にはスーパーウォームビズが来る事を想定しておく必要があるんじゃないかと思うんです。諸々の動向次第では、そのまま「長い冬」に突入しかねないという状況、つまり更にそのサイクルが来年もある事を念頭において、今から何をやらなくてはいけないか、何を備えておかなくてはいけないか、自分は、自分の家族は、自分の会社は、自分の地域は、そして自分の国はどうなるのかってのを考える必要があると思っています。
杞憂なら良いんです。そんな備えは本当は無駄になればいいんです。本当に物事が急に好転するならば
暴論とはいえ、お金を刷れば当座何とか出来ちゃう政府と異なり、一般企業としては経済サイクルを考えたときに今後何が起きるかを考えておかないと、それも(ある意味余力のある)今から考えておかないと取り返しが付かなくなります。余力が無くなれば打ちたい手も打てなくなります。
そんな中、やはり状況的に電力事情ってどうよ?とかエネルギー対策ってどうよ?とか、あるいはそもそも原子力政策ってどうなのよ?みたいなところには議論が集まるわけですが、それに比べて経済動向が今後どういう風に振れて行くのかという部分は話が複雑で、それこそ何らかの住民運動やNPOが騒いで何かが起きる種類の話ではありませんから、それほど一般的に大騒ぎされる事はありません。でも、社会生活の根本をなしている経済活動が自分の給料や雇用の確保といった部分に跳ね返ってくる事だけは忘れちゃいけないと思うんです。
因みに、だから毎日経済紙を読めとかそういう短絡的な話では無いのですが、常に経済状況や動向については思考のアンテナを向けておく必要があります。物事を必要以上にシニカルに見たくないのですが、東日本が駄目だから西日本に分散しよう、いや西日本も駄目だから海外に逃避するぜという流れがあったとしても、そしてそれを支えるITの技術って凄いよねといった話があってもそれは別に否定するべき話ではないのですが、じゃぁその後に東日本に、東北に、西日本に、そして日本に何が残されて、そこはどうなってゆくのかってのはキチンと考えなくてはいけない。目を逸らせちゃいけないわけです。
確かに海外に活路を見出すのはアリだとは思います。日本のために海外から安いモノを調達してインフラを作り直すような話自体も悪い話ではない。でも、日本国内で物を調達し、雇用を創出し、国内消費自体を上向きにしないとどうしようもありません。別に全てが国産であるべきとか、あるいは内需優先だとは言いません。でも、余りに外に活路を見出すような動きがあるとすると、それはたとえばヘタすると結果的に日本の空洞化を加速して行きかねません。
そして「失われる10年の入り口」論
実は私論として「震災を契機に日本は失われる10年の入り口を入ってしまったのではないか」論と言うのを持っています。短絡的に今の政権がどうのとか、日本の基礎的体力がどうのとか、ITの力で云々とか、いやスマホだクラウドだなんだとかそれぞれの切り口で今がどうであって今後はどうなるのかという想定を立て、そこに進んでゆく事は大事です。
でも、間違いなく、3.11の午後、全部のルールが変わったんだと思っても間違いは無いと思うんです。そのことをあまり口にすると色んな人に「お前は悲観的過ぎる」「もっと日本の底力を信じろ」的な言われ方をするんですけどね。