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通信業界特殊偵察部隊のモノゴトの見方、見え方、考え方

本人が本人であることを誰が担保するのか

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Facebookでのアカウント停止について、色んな状況で起きているという話が今も流れています。明らかに個人名であるモノが停止されたという話であったり、逆に明らかに名前ではなさそうなモノでも「私の名前である」と言い張ることによって復活したと思われるような例も目にします。

ちなみに実名であるかどうかっていうのは実は微妙で、たとえば名前という「ラベル」の使い方や「省略」の方法、そして純粋なニックネームの取り扱いってのが言語や文化によって決定的に違うところってのがあるわけですが、それらを全部理解することは不可能なので、とりあえずサービス提供側として一定のルールを適用するしかないだろうなとか思うわけですが。

 

ちなみにいわゆる実名制ってどうよ論とは別次元の話です

そもそも自分であることを担保する資料を事業者に提供する必要があるのかどうかってのは別次元の話だと思っています。そこで使う名前が本人であることを対外的に示せるかどうか。でももしこれが「実名」であることとイコールであることが必要条件であるなら、たとえば「(ペンネーム等を含めた)芸名」を使う事自体が制限される。

でも、その「(ペンネーム等を含めた)芸名」にアイデンティティの根幹がある場合、本人が本人であることの要求のされ方で色々変わるよねと思うんです。

まぁそういう立場ではない私が心配する話じゃないかもしれませんけど。

 

そんな中での本人が本人であることの担保を誰がするのか、誰がそれを求めるのか

多分サービスが謳うそれ自体の存在目的と意義によるのだと思います。いや、何を言ってるかと言うと、証明できる本人である必要があること=安全性を担保する必要がある種類のサービスであることか、そのあたりを適当にネグっても構わない程度のサービスであるか、あるいはそれ自体と全く関係ない所で何かしらの担保がなされているのか。

他にも選択肢があるとは思います
ただ、間違いないのは、それがサービス自体がユーザーそれぞれが本人であることを担保する必要がある性格を持ってるという部分。じゃぁそれは何?

ま、色々あるとは思います。
そこでも間違い無いのは…SNSの根幹だとは思いますが、関係がサービスの提供側と一人のユーザーではなく、サービス自体がユーザーの関係を仲介するという立場だという事。

 

では、どういう状況でその関係が成立する事を期待されているのか?

ってことで、そのあたりをキチンと掘り下げてみれば、世の中の色んなサービスのクラスタリングについてちょいと今までと違った見え方がするかもしれませんよ。

もちろん、それはいくつもあるモノの見方の一つでしかありませんけどね。

 

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