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通信業界特殊偵察部隊のモノゴトの見方、見え方、考え方

誰しも完全に独立性を担保できるわけではない中での、メディアの独立性を憂う裏側でメディアを縛っている可能性があるという事実

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世の中に他者との関係を完全に断ち切った完全独立性を持った(事業)主体の存在というのは、私の知る限り無いと思っています。ステークホルダーと呼ぶのか、スポンサーと呼ぶのか、関係者と呼ぶのか、はたまた仲間や家族と呼ぶのか。完全自立で外部と一切の関係を断ち切ったまま存在できる(事業)主体というモノを思いつきません。

もちろん有る一定の独立性や独自性を担保されている存在というのはあると思います。でも、必ず他者との関係は存在するわけで・・・

 

報道の独立性という立場、そして報道機関としての立場

具体的なメディア論に言及すると「素人が何をほざくのだ、このアホ」といわれるのがオチですが、世の中の何かを誰かに伝える人あるいは機関それぞれが、ある一定の立ち位置からモノを見て、理解して、そして伝えるわけです。実は見た時点でその人の思考というフィルターを通りますし、それを最終的に何らかの形で伝えられる側もある一定の立ち位置からそれを理解しますから、伝えられるモノが誰から見ても完全中立なんてありえない、というのがまずスタートになると思っています。

この考え方については2007年に自分の編集姿勢の偏向は当たり前だと思い続けたい私は変かな?というエントリーでも触れたのですが、この考え方自体は今でも変わっていません。あるいは・・・ これは自分のTumblrの中でのエントリー(今までTumblrは微妙に封印してきたのですが)なのですが、メディアの立ち位置を自分の立ち位置で評価しないという立ち位置なんてコトも考えたり。これも基本的には今でも変わっていません。

ただ、これらはどちらかと言うと「報道」という部分に言及しているだけで、それ以外の部分については特に意識していません。たとえばテレビにおけるバラエティやドラマ、たとえば雑誌における何らかの特集などですね。

でも・・・

 

たしかに、それはわかります。流れも、両方の気持ちも。良い悪いで言うと良くはないんじゃないかとは思うんですけどね

Business Media 誠のコラムでこんなのが目に留まってしまいました。

 

かつて自分自身がスポンサーとしてメディアと関わっていた時期もあったこともあって、なんだか流れ自体は理解できます。ただ、このコラムにあるような過度の介入と思われるところはそれほど無かった記憶があります。

もちろん、ある程度の介入があったのは事実ですが、あくまでも編集と広告は別。状況によっては広告出稿を減らせみたいな指示が無かったかと言うと嘘になりますが、それとは逆の行動を取った事もあります。(具体的には書けませんが)

 

自分なりの受け止め方、自分なりの理解。で?

昔はそんな事は無かったか?
いや、そうとは言い切れないと思います。

単にそれが目に付くようになった、あるいはこういう指摘が目に触れやすいところに出るようになったから気が付いたというコトなのかもしれません。

じゃぁ信義に基づいてそれを排除できるのか?
いや、それも難しいというのが正直なところだとは思います。

営利事業であるからこそ、どうしてもお金を出してくれる人を尊重する必要はあると思います。そしてその立場自体はある一定の立ち位置というモノに担保されて存在するわけですから、誰から見ても中立であれなどという理想論は成立しないとは思います。

それでも過度な反応ってのはいかがなものかとは思うけれど、どうなんだ?
いや、過度かどうかって判断基準もある一定の立ち位置に基づく判断ですから。

 

別に誰の肩を持つという部類の話ではありません。とはいえ、単純に今はこんな事になってるんだからさと現状肯定だけに走るのも嫌だな、と個人的には思います。

じゃぁ、一体今の状況をどう理解し、どうあるべきだと考えるのか?

私ごときが何を考えたところで、結果として何を変えられるかってのはまた別の話ではあるんですけどね。

 

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