自分が触れる情報を自分に最適化するという愚
誰にとっても一日は同じ時間ですし、その人が自分のために使える時間というのはその人なりに更に限られているものです。そのなかで効率よく自分の求める情報を得たいという欲求は当然の事だとは思います。ただ、自分にとって「おっ!」と思うような情報を得られると判断して事前に自分が既定した場というものは、大抵の場合自分にとって心地の良い情報が多く得られる場所だったりします。
でも、それで良いの?
リコメンデーション系は余計なお節介で、自分に最適化したモノはかえって自分の見識を狭めるという危惧・・・は杞憂?
何を言ってるか?いや、自分が自分にとって良いと思って最適化した情報というのは自分の見識を狭めるという結果しか生まないんじゃないの?というごく基本的なことが、今更ながらやっぱり気になるわけです。
耳障りの良い情報だけを求めるというのは仕方のないこと。だって、人間なんですから。でも、それで物事がキチンと進むのかと言うと別の話で、社会生活を送る以上どうしても自分にとって耳障りの良くない話も吸収しておく必要があります。もちろんバランスも問題で、悪い話や好きではない話ばかりを気にしていると滅入ってっ来るのは誰しも同じだとは思いますが、スタンスとして自分の意見とは異なるようなものにも接し続けるというところは大事だと思うんですね。
だからこそ、自分の志向や動きに合わせた情報をどんどん出してくるってのは、一種の情報統制のような気がしてしまうんですよ、私の場合。
そんな私だからこそ(というか他にもそんな人いると思うのですが)意味不明の検索結果に一喜一憂することもあったりする訳で
嘗て一時期だけですがまだその呼び方すら一般的ではなかった頃に「エンタープライズサーチソリューション」のマーケティングをやったことがある私が言うのも何なんですが、検索エンジンをどこまで騙せるかってのがようやく楽しめる時期になってきたのかもしれないかも、とか考えたりしちゃいます。
何しろ、検索結果も文字変換の候補も、利用者個々人の状況に応じてどんどん精度を上げてやるぜとサービス側が頑張ってます。ならば、絶対に裏をかいていやる(笑)などと逆に力が入ります。
- 「お前の薦める店なんか絶対にいってやんね~ぜ」
- 「お前の薦める本なんか絶対に買ってやんね~ぜ」
- 「お前の薦める変換候補を俺が打とうと思ってるなんて考えちゃだめだぜ」
もう本気のアホです(笑)
でも、なんだかサービス側に自分の思考や指向、そして志向を押さえられてるような気がする状況っていうのは、それって便利だよねって思う以前にどうしても好きになれないんですよね。私の場合。