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通信業界特殊偵察部隊のモノゴトの見方、見え方、考え方

引用、参照、そしてWebメディアとしての立ち位置

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日経電子版がスタートしたのは既に御存知の方が多いと思います。実はもう何年も「紙」としての日経をずっと宅配で購読している私としては2月に「日本経済新聞 電子版」がかなり気になる件なんてエントリーを書きながらいまだ色んなことを考えつつ未だに逡巡している状況なのですが、相変わらず日常眺めているTwitterのTL上で「日経電子版って記事へのリンクが禁止されてるんだ。何だよコレ?」というのが幾つか目に付くようになりました。

確かにこれは気になります。でも、実は従来のNIKKEI NETの時代から基本的に同じスタンスだったんですよね。この辺りのリンクポリシーというのは媒体各社それぞれな訳ですが、そこにはそれぞれの事情が絡むわけで、一概にその良し悪しを論じれないんじゃないかと言う気がします。

ただ、もちろん歴史的経緯を踏まえつつ今はどうするのが良いのかな?と考える事は大事なのですが・・・

 

ニュースサイトとしての情報の価値の判断

元々日経ニューステレコンというサービスで、記事の検索サービスを有料で提供してきたという歴史的経緯があります。実は今を去ること25年以上前にVANサービス(死語です(笑))の営業をしていたとき、そのサービスメニューに既に日経のニュース検索っていうのがありました。他に帝国データバンクさんの企業情報検索サービスなどがあったのですが、いずれにせよ過去記事検索というのは検索する側にとってコストを支払ってでも入手したいというニーズがあるわけで、その部分は連綿と有料サービスで行ってきたという歴史的経緯があるわけです。

自分で紙面を探すのではなく、時間対価としてのコストを支払ってでも確実に入手したいというニーズ。これは間違いなく大昔からあるわけです。これがいわば情報の価値ですね。

速報性という意味でのニュースの価値とは違う、過去の経緯や状況を確認するための、裏を取るための情報の価値。ここは多分過去から今、そして将来的に見ても変わる事は無いものだとは思います。

 

インターネット上の検索サービスが変えて来た状況

これは今更私ごときがあえて掘り返す話ではないですが、Google Newsがインターネット上のニュースと思しき情報を集中して表示することができるサービスを提供し始めたころから状況が変わってきたわけで、それまではそれぞれのニュースサイトの中で閉じた情報提供手段と検索手段の提供を行ってきたわけですが、そこにいきなり全然関係ない人が媒体横串で情報を検索できる手段を提供し始めたわけですよね。

もちろんどこまで何を見せるかというのは、ソースとなる情報提供サイト側のポリシーに寄るわけですが、とにかく無料である程度取り上げられている状況は把握できるようになってしまった。

かつて、たとえば企業が何かしらプレスリリースを行ったあと、どの程度メディアに取り上げられたかという調査は人力に頼って調べる以外に方法が無かったのですが、「紙」とホボ同じような情報がインターネット上でも公開されるようになって、劇的に変わったのは・・・それこそ歴史的経緯を知らないとその恩恵のありがたさも変わるかと思うのですが、このあたりは時代的に「デジタルネイティブ」と呼ばれる世代の前の世代の私の場合、本当にありがたさが身に染みます。

 

「記事」ではないブログのエントリーというものの立ち位置

実際のところ、Google Newsのサービスが始まった時点で世界中の媒体社とGoogleの間で揉め事が起きていたのは、もう昔話に類する話でしょうね。「情報のタダノリだ」とか「勝手に引用するのはまかりならん」とか。一方一般のインターネットのユーザーには「Googleが報道媒体になった」と信じる人まで多数いたりして、まぁ混乱の極みだったわけです。

私の場合にはそれほど頻度は多くないですが、たとえばかつて時事問題を比較的早くエントリーとして取り上げた時に、Yahoo! Newsなどに他の報道機関が出したニュースと同列でエントリー自体が表示され、そこから飛んできた方が「記事としてこの偏向度合いはいかがなものか」みたいなお叱りのコメントをいただいた事があります。

これは記事じゃなくてブログのエントリーですから・・・ というのを中々聞き入れていただけなかったこともありましたが、検索サイト側でいわゆる媒体社からの記事とブログのエントリーを区別して表示する事が多くなったお陰で最近は殆どなくなったようです。

まぁ、私のエントリーの場合、どう読んでも記事には見えないから良いとは思いますが・・・

 

さて、ここで問題は、参照や引用、そしてWebサイト自体や当該情報ページへのリンクをどの程度認めるかと言うポリシーの話で

で、問題は何かしら書くきっかけとなった元記事をどこまで引用や参照できるのかというコト。出典を明記し、改変を行わないという形での引用や参照という行為自体が実は問題視されるケースがゼロではないようです。ただ、これは文献としての扱いと同じとも取れますので、改変しなければ基本的にはセーフだと思います。

ただ問題は、元記事などのURLへの直リンクをどこまで許すか。これは非常に大きい。実際これは各サイト毎にポリシーが異なります。過去からずっとなのですが、実は面白そうな記事やコラムを見たとき、そしてそれを何らかの形で引用や参照したいと思ったときにはまず当該サイトのリンクポリシーを見るようにしています。

もちろん、そこに明記されているケース、明記していないケースの両方があります。駄目よと明記されているところはむしろ良心的で、そうなると同じような内容が他のサイトに出ていないかとかを探したりします。でも直リンクしても良いのかどうかよく判らないケースは判断に困るわけで、それが何らかの正式な文献となるべきものであれば問合せをしたりもしますが、それ以外では基本的に諦めちゃいます。

たとえば、「報道系サイトの幾つかにこんな情報が出ていたのですが」みたいに参照元を明示せずに書いてしまうケースというのは、殆どコレですね。まぁ私のエントリーから元記事への流れが何かを動かすほどあるとも思えないので、この辺りはお気楽に書いているのですが、ただ、それでも元記事への還流という動きは無くはないんじゃないのかな?とは思います。方や、それこそ毎日何千ものPVを得ているようなブロガー諸氏の場合には、この流れ自体は無視できないんじゃないかとは思うのですが、まぁそれは報道機関の外のシロウトが考える下衆の勘繰りみたいなもんでしょうか。

でも・・・

 

報道記事は流れてゆくもの & 記事検索自体が有料サービスとしてある程度成立しているという背景を踏まえつつ

どこまでを過去記事として表のサイトで参照させるかと言うのは、その後ろのビジネスモデルと密接に関連しているので一概に良い悪いとは言えないとは思っています。もちろん直リンクすると訴えるぞといわれるとそれなりに不便ではありますが、ある意味仕方が無い。何しろ、元々閉じた世界があるわけですから。

ただ、別の見方をした場合、何らかの有料SNSサイトなどの中への直リンクなんてのを参照元としてやられた場合、そのサイトのIDを持っていないと非常に憤慨する状況が起きます。もちろん大抵そういうサイトでは内部への直リンクを禁止しているものですが、それでもブログやTwitter上で時々見かけます。

まぁ別にいいんですけどね。

 

不便なら他を当たることができるようになってきたのが最近のWebメディアなので、続報がどこかから出るのを待てばよいし、ソースが海外の場合にはそちらを参照したほうが実は翻訳記事と違うニュアンスがあったりして良いケースもあったりします。

ということで話をぐっと日経電子版に戻すと、直リンク禁止ってのは歴史的経緯を踏まえて違和感は無いのですが、他の媒体と横並びで考えると不便なのは事実。さて、それを踏まえて、どうしようかなぁ・・・ と相変わらず逡巡していたりします。

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