やっぱり自分でやらないとわからない事って多いよね、というお話
仕事柄お客さまとお話する事が多いのですが、その立場というと、いわゆる営業の立場というよりは企画という立場での情報提供というのが多いのが私の普段の姿です。もちろんその上で業界動向などはとても重要になるのですが、それ以上に大事なのが関わっている製品やらサービスを自分で触ってテストした感触。一種の現場感覚、みたいなものでしょうか。これが鈍るとどうしても話に説得力が無くなるのが技術系の話の難しいところ。
同じ目線で話ができるかどうか
基本的に何かを提供する側というのが自分の社会人人生の中での大半を占める私の場合、どうしても物やサービスの送り手の目線になりがちです。ただ、これがなくなると自分の立ち位置がおかしくなるので、それ自体は悪い事ではないと思っています。
ただ、大事なのは、それを使う側にどういうメリットがあるのか、何が役に立つのか、どこが決める人が(あるいは使う人が)良い評価されるのか。この部分を見失うと、よく言う「プロダクトアウトな奴」という評価になるわけです。
ココは自分で本当に気をつけないと、どうしても陥り勝ちな所です。それらのバランスをどこで取るか。それが問題。もちろん誰しもそれは気をつけているとは思いますけど。
送り手だからこそできるものの見方を提供できるかどうか
利用者からしか見えない部分というのは当然あるのですが、同じように情報の送り手側からしか見えない部分というのがあります。最初に触れた「業界情報」っていうのは確かにその一つなのですが、同じようなものに、自分で色々と試した結果をどう評価し、どう理解しているのかという情報。
たとえば何かのサービスやシステムを紹介するときに必ず聞かれるのは「事例ってどんなのがありますか?」という話。B2Bの場合、守秘義務やら何やらで具体的にご紹介することがとても難しいケースが殆どです。システム全体としてどうしてるのかといった話の場合には大抵ココに触れてしまうのですが、もう少し細かいレベル、たとえばある特定のソフトウェアや特定のサービスなどについては喋る人自身が自分で評価した結果を参考意見として伝える事は出来ます。
もちろん、誰かの承認を受けた100%間違いない情報、とまではいえませんが、参考情報として伝える事はできる。
これが営業さんや現場のエンジニアさんだと難しいところもあるとは思うのですが、私が普段お客さまと接する立場の場合、比較的その辺りの話をしやすいという環境があります。ということで、実は業界情報と並んで「使ってどうだった」情報というのはとても重要なんですね。
だからこそ、自分でやらないと判らないことが多い
流石にこの歳になると仕事の全部の時間を誰かが決めるというコトはなくなってきました。裁量労働制云々とは違う形で自分の中で自分の時間の使い方をある程度決める事が出来るという状況の中で、実は結構コソコソと色んなものを試すという作業をやっていたりします。
たとえばソフトウェア自身だったり、何らかの設定だったり、ハードウェアだったり・・・ この作業自体は最初の会社でデモセンターに異動してからずっと、もうかれこれ20年くらいやってますが、それが自分が誰かに何かを話すときの非常に大きな情報源だったりします。曰く、
- これってこういう風に使える事になってるんですけど、実際はこんな感じでしたよ
- これって意外にこんな風に使えちゃいますよ
- この設定って、実はココを触るとできちゃうんですよ
- でもこの値を変えちゃうと、こっちにこんな影響が出たんで私自身はお勧めしません
などなど。
大抵の場合、非常に定性的な話で、その話が全てのケースに当てはまるわけではないのは重々承知。でも、自分はこんな状況でこんな風になったんで、だからこんな話をするんですよ、っていうのはそれなりに説得力があると思っています。いや、実際に結構こういう切り口でお話すると、ちゃんと聞いていただけるものだよね、というのは体が覚えています。
とはいえ、流石に歳のせいか、自分で試すのにも限界が出てきてですね・・・
数多くのケースを自分でひたすら検証するなんてのは、もう流石に体が持ちません。逆に言うと、事前に調べて「このあたりを基準にしてこういう風に条件を変えてみて・・・」とある程度の予測を立ててから取り組むようにしてます。
そういえば、先日TwitterのTLで見つけたらばQにあった、ちょっと頷ける、航空会社側から見た「フライトの心得」のなかから。
「他人のミスから学べ。全てを経験できるほど長くは生きられない。」
うむ~。深いです。
ある意味、集合知の本質かもしれません。いや、別にWikipediaじゃなくて良いんですよ。電子データじゃなくてもいいんですよ。本でも人の話でも何でも。媒体にとらわれちゃいけない。必要なのは学ぶ事。
うむ~、深いです。