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通信業界特殊偵察部隊のモノゴトの見方、見え方、考え方

どこにでもある理論値と実効値の違い

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まぁこれはワタシが身をおく通信業界に限らず有るネタ。理論値と実効値の差。これをどこまで理解するかというのがモノゴトの本質を見極めるための一つの重要な尺度になったりするわけですが、それを世の中のみんなが理解するのは不可能な話。ということで、「それは話が違わなくない?」といわれるような事が起きるわけでして・・・

 

どこまで近似値になるか

たとえばプロセッサーの実行速度、たとえば通信サービスにおける速度、たとえば新しいソフトウェアの実行速度、たとえばクルマのエンジンの出力(コレは乱暴な例?)・・・ とりあえず何かしら働きかけるものには作る時点で必ず一定の設計値が存在するわけです。一般的なユーザーが何かしら意図を持って計測できる場合も無くはないとは思うのですが、普通はいわゆる「カタログスペック」として理解されていて、どちらかと言うと同じような別のものと比較するための相対的なモノサシとして見られる事が多いのではないかな?と個人的には思ったりします。

で、それがたとえば単体で機能するものであれば、そしてそれを計る環境が作った人と同じ状況を用意できるのであれば、その目標値、あるいは実現できた状況というのをかなり正確に理解できるのかもしれません。

でも、モノは同じでも計る環境、あるいは試す環境が違っていれば設計時点の状況や、想定された理想的な状況とはやっぱり結果が違う。でも、その人がその環境で他のものと比較する事ができれば、感覚的に「こういう値のものはコレくらいなんだ」という基準の元に別のものとの比較が出来る、事もあるわけで。

評価というのはその人の環境における相対的なもの、というのが個人レベルで持てる基準?

 

どこまで実際に使えるのか

たとえば有る値について一定の基準を満たしたものがあるとして、それがそれを利用する有る環境全体の中でどれほどの機能を果たすか、どれほどの能力を果たすのかについては、これまた千差万別だったりするわけです。

ある人のある環境において十分な機能と能力を発揮できても、別の環境の人の状況ではどうも良くないというコトはよくある話。たとえば単純な性能と言う意味での能力だけではなく、ひょっとしたらUIなど感覚的なところが多分に支配するものも含まれてくるのかもしれません。

更に、それを仕事上ではなく個人のものとして使うような場合には、単純な機能や性能比較をオーバーラップする「ブランドへの思い入れ」や「個人的な経験に基づく独自の評価軸」と呼べるものが関与してきたりするので、これまた一筋縄では行かない。

使える?使えない?

評価と言うのはその人の経験や思いも含めた相対的なもの、というのが個人レベルでは更に大きな支配力を持ってるような気もします。

 

どこまで理解すればよいのか

作る側のキモチ、思い入れ、思想などなど。これを送り出した何らかの製品やサービスについて作った人自身が伝えてゆくというのは大変な仕事。そもそも作る人というのは大抵作るプロであって伝えるプロではない。ということで、たとえばカタログであったりWebサイトであったり何らかの広告であったりプレゼンテーションであったりという手段を使って、それぞれ分業して人に伝えるという作業が入るわけです。

でも、本当のところをどこまで伝える事ができるか、どこまで伝わるかなど別の問題がそこに立ちはだかるわけです。一般的に、伝える側の方が聞く側よりも知識が豊富な事が多いんじゃないかとは思うのですが、逆に言うと伝える側が知ってる事を聞く側が前提条件として知らない、少なくとも背景を理解していないという前提が必要であったりするわけです。

理解度は前提条件によるという罠

もちろんそんな事は百も承知って話は当然あるわけですが、伝える側の意図した事が意図したとおりに伝わる事の方が珍しい訳で、美しい誤解から完全な事実誤認まで含めて色んな理解のされ方があったりするわけです。これは基本的にマーケティングコミュニケーションの世界で担保するべきリスクの一つとも思います。

ただ、伝えられる側から言うと「いきなりそんな難しい事言われても判んないよ」ってのももっともな話。しかもそれが感覚的に理解できそうな事であればともかく、技術的な知識が背景にないと理解に難しいようなものだと、これはハードルが高い。でも、ある程度理解しないと宝の持ち腐れになる。

そんなこんだで、評価と言うのは相手の理解度をある程度想定しつつ、誤解が生まれる事もリスクとして覚悟しないといけないののだけれど何とか良い方向に持ってゆかないといけないというとても難しいもの・・・? なんだかワタシ自身が混乱してきました。

 

そしてどこまで信じればよいのか

世の中の全てのものを自分で試して評価することは誰にとっても不可能です。したがってそれを専門家と呼ばれる人の評価やそれを伝えるメディアの情報に頼る事はどうしても必要になるわけです。

たとえば常に最高速度でクルマを運転(というか利用)することができる環境にある人は普通じゃ居ませんし、PCの処理能力、ソフトウェアの最大の能力限界まで常に使い続ける人もそれほど居るわけではない。朝から晩までP2Pやってる人ならともかく、常に通信回線の最高速度を必要としている人もそれほど居るわけではない。もちろんピーク性能としてその能力の限界近いところまで利用することが普通の人でもあるわけですが、それを意図しているのではなく結果的にある瞬間にそうなる事が多いのではないか?な?とか・・・思ったり。

そしてそれらの中から自分に直接関係するもの、自分が直接必要とするものについては自分で試して自分の直接の評価をする事ができるんじゃないかと。

う~ん。ワタシは何を言いたかったんだろう?

とりあえずなんらかのモノを計る尺度としての設計値や理論値と言うものがあって、それを実際に体感したときになるほど、とかほらね?とか感覚的に理解できるのかなぁ・・・

 

もちろん計測器を使ってキチンと計る等という開発段階での話じゃないです。最終的なユーザーから見た評価の話。

どうもプレゼンテーションを生業にしている中で、人にモノを伝える中での相対的な評価をどうやって形成するかってのが常に問題としてあるんですが、最近そのアタリを考え込む事が多くなってしまっていて・・・

なんだか妙なところでループにはまる今日この頃です。

 

Comment(2)

コメント

Ifreeta

一番簡単なのは、車の燃費ですかね。同じ車を同じ経路で走らせると運転手が違うと端的に結果が違うことがあります。時刻が違うので全てが同じ条件ではないのですが、それでも違いが出てきます。3割も違うこともありますから、運転にしても車をどう走らせればいいかどうかも知らない人もいるようです。
私の場合は田舎なのか、10モードを下回ったことはありません。

Ifreetaさん、コメントありがとうございます。
 
確かにクルマの燃費は、多くの人に理解されやすい例かもしれませんね。なるほど。
因みにワタシが住んでいるところは結構坂が多い事もあって、カタログどおりの燃費を記録した事は無いです。以前は排気量1600CCに7年、現在は2000CCの車(馬力もトルクも前の車の2倍くらい)に10年くらい乗っていますが両者とも実は燃費は殆ど変わりません。トルクが大きい分以前より踏み込まなくて済むようになったとかあるとは思うのですが、技術的な進歩はともかく、コレだけ坂が多いと実は移動距離アタリの消費燃料なんて別の尺度があるんじゃないかと思うくらいです。

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