スーパーコンピューターで世界一を目指す事がそんなに悪いことなのか判らないという件
例の事業仕分けの作業で色んな事業が俎上に上がっているのは皆さん既に御存知だとは思います。仕分けの対象選び、実際の作業、その場における会話の内容、ひいてはそれを報道する立場などなど、色んな議論がなされているわけです。それぞれについて色々な経緯やら思惑があって進行しているわけです。が、それらについて四の五の言い始めると大変な事になるのでココではそれらについての云々ではなく、一つだけ、ちょっと取り上げてみたいと思います。
何?いや、スーパーコンピューター、いわゆるスパコンに関する議論についてです。
世界一という表現だけが一人歩きして、その開発に表裏にわたりまきついている技術と言う部分の議論が評価の対象になっていないという危惧
もちろん、そもそも俎上に載った時点で手を入れる事が事実上決まっている論もあるわけで、いわゆる事業仕分けの場ではそれをどの程度にするかという形で議論が進んでるのはいかがなものかという話はあります。個別案件についての内容云々はともかく、全体としてはそのような流れで進んでいるように見えます。事実何かしらアクションを取らないと史上空前の95兆円という予算を何とも出来ないっていうのは事実ですから、それはそれとして、とりあえず自分のわかる範囲で話を進めると、引っかかったのがこのスパコンなんて止めちゃえよという一件。
それこそ1940年代からずっと、超最先端技術を形にするっていうのは事業会社単独で出来る話ではなく、しかも直接間接に展開できる要素技術の開発なども含めると技術の裾野を広める意味ではとても重要だと思っています。そういった部分では世界中のどの国でも国、あるいは国の機関が直接開発をサポートするのは全然不思議ではなく、それがむしろ役割という気がします。
そもそも作った超高速のプロセッサーを一つの目的で使うなんてのはありえない話で、使える限り、稼動できる限り使い倒されるものであるわけですが、そのアタリの議論がされた形跡が余り無いように見えたりします。
これがどんなことになるのだろうか?
そもそも技術開発は終わりは無いわけで、常に世界一なんてありえないのが当然なわけですが
技術目標としてある時点での世界一のパフォーマンスが必要とされたらそれを目指すのが技術の発展を目指す方法だとは思うんですよね。用途がパフォーマンスを要求することもありますし、パフォーマンスが新たな用途を見つけることもある。いまや「こんな早いプロセッサー何につかうのよ?」的な議論が出ること自体ほとんど無いと思うのですが、どうも世界一という文字だけが「そんなの必要ないじゃん」という結論に結びついているような気がします。
なんだか残念です。
そのアタリの技術論をキチンと論じれる人、そして評価できる人がそこにいれば・・・ と思っても俎上に上がった時点で半分負けている現状ではいかんともし難い部分かもしれません。もちろん議論を進めている側にもそのアタリの専門家が居るとも思えないし。
ただ、スパコンなんてもう止めちゃおうぜという判断について、その影響は多分何十年にも亘る可能性すらあるよというところまで、つまり非常に広い意味では産業育成やテクノロジーについての教育、あるいはテクノロジーを利用する事によって出来る多くのモノを切り捨てる可能性すらあるんだよという大所高所の判断をしたのだよ、という意識が判断する側にあるのだろうか?ともちょっと思ったりするわけです。
政治論に言及する積りはありませんが、でも個人的には一体これは何なんだろうな?というところが払拭できません。