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通信業界特殊偵察部隊のモノゴトの見方、見え方、考え方

【週末ネタ】 付加価値通信網、という過去の存在の意味と誤解

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業界が長いおかげで、クラウド・コンピューティング云々という話を聞くにつけ「やっぱりスパイラルなんだよな」と思うこと頻り。細かいところの差異はあっても、結局なんだか同じようなところを行ったり来たり。まぁみんなおんなじようなこと言うんですけどね(笑

 

一応メインフレーマーと言われた会社の出ですが

実は私自身、営業もSEもやりましたが、売るという立場でメインフレームと接したことは一度もありませんでした。何しろ最初の配属がデータセンターの営業、いわゆる受託計算の世界で、その後その部隊がVANサービス、つまり付加価値通信網サービスを売る部隊になりました。NMSと呼ばれたサービスです。私自身はしばらくその部隊で営業をやっていたのですが、営業としては全然ダメでデモセンターに異動してプレゼンテーション専門な人になり、結果的にその後のマーケティングやコミュニケーションの世界に流れて行くことになったのですが、その話はともかく・・・ よく覚えていますが、1988年当時、日本IBMでVANサービスのプレゼンテーションを専門にやっていたのは私と、私の先輩の二人だけでした。ちなみにその後の歴史の流れでこのサービスはなくなり、当時のその部隊の半分くらいは社名が変わって虎ノ門付近にあったりしますが・・・ 

ちなみに、以前にも別のエントリーに書いたかもしれませんが、その後1990年頃、日本IBMでTCP/IPというかインターネットワーキングのプレゼンテーションをやっていたのは私ひとりだけ、でした。SNA全盛期。もちろん本業としてのSNA関連のプレゼンテーションやデモもちゃんとやってましたよ。今から考えてもSNAというのはよく考えられていたのですが、そのネットワークの中でのネットワーク管理(NetViewというソフトウェア群でした)の仕組みが漸く体系だったものになりつつあった時期で、いろんな構成機器を一元管理しましょう、あるいはこんな風にできるんですよーみたいなものをプレゼンテーションし、デモしてました。

IBMの意識としてはSNAのネットワークに染めてしまうのが一番簡単ですし、そうでもしないと管理もなにもないのですが、なんとなく流れとして「SNAの外、特にTCP/IP系ネットワークの話をとりこまないとだめだぞ」という感覚は日本でデモをしていてもありましたし、海外の開発部隊などでもその意識を持っている人間がそれなりにいました。そんな流れのなかでインターネットワーキングのデモに傾倒し、UNIXマガジンを貪るように読み、最初はpingが通るだけで喜んで、次にTelnetでさらに喜んで・・・みたいな時期でした。

あ、これは今回の話からすると余談なので、別の機会に。
で、問題は付加価値通信網、VANです。

 

何が付加価値なのか?

これは正直時代背景をキチンと理解しないと、まったく意味不明になります。そもそもネットワークのサービス提供者がなにかしら情報を処理するサービスを提供すること自体、今は当たり前だからです。・・・ 今は。そう。今は。

Q: じゃ、昔は違ったの?
A: 違いました。そもそも禁止でしたから。

細かいことはいろいろあるのですが、とりあえずいくつかわかりやすい話題に絞ってお話すると、まず話は1970年代から80年代に掛けてのアメリカでの独占禁止法関連の裁判の話までさかのぼる必要があります。企業活動に対する政府の関与の仕方と政策は時代と共に変わるのですが、基本的に通信事業者は通信事業だけ、情報処理関連事業者は情報処理だけと、相互の相乗りというのは基本的に不可だったんです。

たとえば情報処理側において受託計算はOKですが、それを遠隔からネットワーク経由でサービスすること自体も最初はNG。で、とりあえず回線のところについて斡旋はするけれど契約の仲立ちはできない状態でよければ遠隔サービスしますってのが次の段階。これが1980年代初頭ですね。

一方通信事業者側において、通信の仲立ちをする以外の情報処理は基本的に不可で、そもそもは通信手順の変換すらダメだったんです。

そんな昔のことを言われても・・・という声が上がりそうですが、まず、そもそも事業の区別をそうやって行っていたということをまず理解する必要があります。で、これが理解できていないからいろんな出来事を誤解している節が散見されるんだよな、と想ったりするんですけどね。

 

で、それが何で今みたいな形になったかって?

きっかけはいくつかあるんですが、一番分かりやすいのがAT&Tの分割にまつわる話でしょうね。もともと巨大すぎたAT&Tを地方会社と長距離会社に分割しようという話はあったわけですが、その裏側で、通信事業者として通信の仲立ちをするだけではなく、通信網に何らかの情報処理の付加価値を付けたい、自分の市場価値を単なる土管屋から別のステージに揚げたいという意欲がありました。

一方、情報処理業界側、特に私の所属していたようなデータセンターなど受託計算を行っている業界からすると、間の通信回線の部分についての何らかの役務を果たすことによって広い地域に対してサービスを提供したいという意思がありました。

因みに通信事業の場合には基本的に国境を越えることはできませんが、情報処理の場合には回線さえ確保できれば国境なんて関係なくなるので、長い目でみるとインパクトが大きいのですが、たとえば私が就職した1985年当時でも国境を跨いでデータセンターサービスを提供できる企業は世界的に見てもIBM(オランダと米国フロリダに巨大なセンターがありました)と、別の理由でIBMからデータセンターサービスの大半を事業譲渡されたEDSくらいで他には殆ど存在しなかったので、それほど大きな問題として取り上げられず、むしろ通信事業の開放という方に目が行った記憶があります。

で、結局AT&Tが分割された際に、情報処理を通信事業者が行うことを許すという条件がついたんですね。で、その反対側で、情報処理業界の企業が通信事業に参入できるスキームが作られました。

通信網に情報処理という付加価値をつけたサービス = Value Added Network Service の誕生です。ちなみに日本では(確か)1986年からスタートしていて、私も1987年の年初からはデータセンターサービスに加えてNMSサービスを売る営業をやっていた記憶があります。

 

もっとも業界VANと呼ばれるものと接続サービスと大きく二つに分化してしまったのですが

多くのVANサービスの提供者は通信ネットワーク上に情報処理の付加価値を付けるという部分でのビジネスを主としたこともあり、しかも汎用的な情報処理というのが定義しづらいことから、個別の業界向けのサービスを提供するデータセンターサービスを業界VANサービスとして提供することが多くみられたわけです。日本でもクレジットカード向けのネットワークは今でも生きていますが、それ以外にいろんな業界向けのデータセンターサービスが生れました。本来通信事業はある場所と別の場所を通信回線でつないで限りなく元の形で情報(音であったりデータであったり)を届けるのですが、その間で何らかの処理を加えるというものが初めて可能になったんです。これは、今でいうASPですね。

それに対して、ネットワークの接続部分を仲立ちするサービスも出てきたわけで、これが今でいうISPに当たる部分です。

でも通信手順として実用的なものというとSDLCを含めたある程度メーカー依存の通信手順か、完全に汎用的な無手順系のものに分類されていて、相互の接続性もとても悪いものでした。ただ、これはその瞬間だけを見ればなぜ相互接続性が低いのかという部分に目が行きますが、実際のところはそれぞれのメーカーが思うところを最善の方法で実現して通信手順を作っていたので、それ自体は自然な流れであった事と、もともとは相互接続性をそれほど意識する必要がないほど小さかった事もあるでしょうね。もちろんその当時では巨大なのですが、今の市場規模から比べると絶対的には小さい、ということです。

 

ということで、今回のまとめ

そもそも通信網のサービスは途中の情報処理ができなかったし、情報処理関連の企業は通信サービス自体ができなかった。それぞれが企業分割や事業譲渡など痛み分けをする形で相互に事業分野の相互乗り入れをやったのだが、インパクト的に通信サービスの中でデータ処理を付加価値として加える事が分かりやすかったので、こちらを主にして「通信網の中でデータ処理という付加価値をつけ、送り届ける」という品目が出来上がった。

これが「付加価値通信網、つまりValue Added Network = VAN のサービス」

通信事業者の夢って、少なくとも30年前から何にも変わってないんですよ (笑

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