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通信業界特殊偵察部隊のモノゴトの見方、見え方、考え方

イエローケーブルってまだ売ってるんだ

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かつてEthernetといえばイエローケーブル、イエローケーブルといえばEthernetという時代があったわけですが、よくよく記憶をたどればそれは1980年代から90年代にかけての時代。その後は現在のいわゆるイーサネットケーブルの世界になって、それも速度の向上などに合わせてカテゴリー7なんてところまで来てるわけですが、昔はブットい同軸ケーブルが基本だった訳です。さすがに目にすることも殆ど無くなり、既に絶滅したのかと思ってましたが・・・

 

ケーブルオタが久々に秋葉原の愛三電機に紛れ込んで

かつてITの通信専門のデモセンターに居たこと、そして展示会やデモの面倒を見ていた時期がとても長かったことから、自然と多種多様なケーブルを集めていました。いや、別にケーブル集めが趣味ではなく、現場で不自由するのがイヤなので、折に触れてあまったケーブルを譲ってもらったり、廃棄されているケーブルが生きているのを確認できたらとりあえず頂戴するという感じで増えてゆきました。

何しろ現場でネットワークや何かしらのシステムを組むときに必要なケーブルが足りなくて作業が出来なくなるというのが一番面倒くさい。入手に時間がかかるケーブル類だと尚のこと手元に常に余分に持っていないと不安になるものでした。

 

メインフレームのチャネルケーブルをはじめとして、かつてはダンボールで何箱も

なにしろメインフレームまで自分ひとりで面倒見ていたこともあり、一番大げさなメインフレームのチャネルケーブルからRS-232CやSCSIのケーブルまで、そして何気に大事な電源用の3Pケーブルまでありとあらゆるケーブルのコレクションがありました。当然必要なアクセサリーとしてターミネーター(終端抵抗ですね)や中継コネクターなど、まぁ本当にダンボール箱がいくつあったことか、という感じでした。

そして、イエローケーブルや10Base5のトランシーバー、そしてトランシーバーケーブルなどもその在庫のひとつでした。

 

何しろ重い。そして曲がらない(笑

10Base5のEhternetのメインになる、このイエローケーブル。元々黄色が多かったことからそういう名前でしたが、当時、実際には赤やら青、グレーなどいくつも色の種類がありました。ただ、何色のケーブルでも呼び方はイエローケーブル。赤いイエローとか、青いイエローなんてわけのわからない言い方をしてましたね。ただ、結構高価なケーブルだったので、不要になった後も床下から無理やり引きずり出して転用したりとかしていた記憶があります。

でもさすがに絶滅したと思っていたのですが・・・

 

たまたま立ち寄った秋葉原の店で見つけたカタログの中に発見して

いや、さすがに驚きました。次に懐かしくなりました。見つけたのはアライドテレシスさんのカタログの中。因みに会社に戻ってからWebサイトを調べると・・・ちゃんと通販で入手できなくは無いようです。もっとも、どうやら全て受注生産。まぁ、そりゃそうでしょうね(笑

 

因みに、本当に10Base5を必要とする機械が現在どれほど稼動しているのだろう?

さすがに殆どが博物館状態のような気もしますが、多分どこかで誰かが時々このケーブルを必要とするのだとは思います。同じように10Base2も売っているので、きっとこれも同じなのだとは思います。当時は余りきちんとした文献も無く、なんだか手探りでネットワークの設定をして、サンマイクロシステムズのSPARC1とかSONY NEWS 1750、あるいはIBMの6100(RT/PC)やRS/6000、そしてメインフレームに繋がったIBM 3172 (これ、知ってる人は殆ど居ないだろうなぁ)をデモやテストのために動かしていたりしたのですが、正にこれらを繋いでいたのがイエローケーブルを使った10Base5のEthernet。

 

ということで少しだけIBM 3172について暴走すると・・・

1990年台初頭、メインフレームのチャネルに直結できるEthernetとのGate Wayの機械でした。上側はメインフレームのチャネル直結、下側は10Base5。正に直結です。実は日本に輸入された2号機(1号機はSE部隊のテスト用でお客さまには出荷されなかった記憶があります)をワタシの管轄するデモセンターに導入しました。元々生産台数が極端に少なく、TCP/IPの世界をわかる人もIBM社内に殆ど居なかった時代。もちろんセットアップのマニュアルに書いてある内容がわかる人も余り居ない中、エラく長い納期を我慢した挙句に何とか入手し、とりあえず手探りでセットアップしました。

因みにちょっと探してみたら、こんなサイトに写真が載っていました

で、とても珍しい機械なのですが、国内のあるお客さまのための機械の納期が後ろにずれてしまったため、担当の営業部長(だったと思うのですが)がワタシに直接電話を掛けてきて「そこにある3172を寄こせ」と言われたのですが、こちらもこの機械がなくなると国内でメインフレームがEthernetに繋がっている状態をデモすることが出来なくなること、そして次の納品がいつになるかわからないことなど諸々考えた挙句、ワタシと先方の上の方まで巻き込んでエライ大騒ぎになった挙句引渡しを断った記憶があります。

その後、そのお客さま向けの機材は他の国の他のお客さま向けだったものを無理やり日本に回させて何とかした、という話を後から聞いたのですが、なんだかとても大変な機械だった事と、なんだかとても大変な揉め事に巻き込まれる機会を提供してくれた事で、とてもよく覚えています。

 

あの頃の、あのMachine達は、今はどれくらい生き残っているのかな?ちょっと気になります。

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