音楽が消費財化するのは悪い事・・・のような、そうではないような・・・
いつの世も流行歌があり、それは多分ある意味消費財なんだとは思います。でも、層ではない世界が常にあるのも事実。問題はその比率。私自身はいわゆる音楽業界に身を置くわけではありませんから具体的に例示できるわけではないのですが、なんだか音楽というもの自体が消費財化してる気が、少しだけします。
私自身は大体なんでも聞くほうですが
どうしてもストーリー性を求める私の場合、どうしてもアラカルト的に聴ける音楽ばかりが目に付くような気がします。ただ、そんな風に感じる自分の音楽に対する接し方が歳とともに変わってきているのは判っています。以前はラジオで最初に聞いて、その後CD(それ以前はLP)を買うことが多かった気がします。もちろん好きなアーチストのものは発売前に予約したりしてましたが、最近はどうもそんな行動を取ることが少なくなってきた。結果的に自分の接する面積?が少なくなってきて、どうしても表面上の偏った印象だけが目に付く傾向ではあります。それは事実として素直に認めるところです。
でも、たとえば誰かの新譜をCD屋さんで視聴してみて・・・ それぞれの曲は楽しいとか良いとか何とかのキモチは持つのですが、なんだかアルバム全体としてのメッセージがよく判らないものが結構あったりします。
それが自分の感受性の問題だとしたら、それこそ問題
歳を取ると、どうしても冒険をしなくなるような気がしてきています。まずいなぁ、とは思うのですが、気が付くと昔買えなかったアルバムの再発売版とかに目が行きがちです。それが強烈に安くなったりしていると、どうしてもそっちに先に手が伸びます。
ブルーノート系。
ドイツ グラモフォン系。
RCA赤盤。
初期のECM。
などなど・・・
稀に昔のアニメのオムニバスCDに手が伸びそうになります。キャラクターによっては復活しているものとかあって、息子や娘と一緒に歌えるものもあったりして、これはこれで楽しいのですが、気が付くとどうしてもそういった昔自分が接したものに流れがち。
いかんなぁー
冷静に考えると、私も昔は消費(浪費?)していた張本人
何が音楽の消費なのかよく判らなくなってきましたが、じゃぁ、逆に消費財ではない音楽って何なんだろうと考え始めてしまいます。変な話、雅楽なんてのは1000年以上も継承されているわけで、これは多分消費財とは違う。でもそもそも音楽というか楽としての位置づけが今の音楽とは異なる、全く別次元の話。
じゃ、たとえばクラシックってどうなんだろう?名称はクラシックで、確かに何十年何百年も前に凍りついた頭脳が作り出した音楽であったりするものもあるわけです。でも、その時点では消費財的に聞かれていたものが多くあったわけで、たまたま生き残ったものをある意味遺産として聴いている部分もある。それらは作った人が既に世の中に居ないのだから、演奏によって変化はするけれど、それ自体はそれ以上は変化しないんで、消費財というよりは遺産かなと思ったり。
音楽は消費財か?
人というものが変化するものなのだから、流れていくものを消費財として捉えることは間違いではなく、おそらくその時代時代において消費するものが多いのは、ある意味正しい姿なのだろうという気がしてきました。
だとすると、その流れを流れとして理解し、今何が来ているか、これからどうなるかを考えることが楽しいのだろうなと思う気持ち。
ビジネスの世界、ITの世界、通信の世界・・・ 固定化されてしまうと退屈だし、何も生まなくなるのであれば、どんどん変化し、今をどんどん消費し、次のものを生み出すことは大事なんですよね。多分。
あ、消費が大事と言っても物理的な資源の話ではないです。(仮称)知的資源の話です。念のため。
結局、物事を固定して見ないこと。これが大事なんだろうなと思う次第です。