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ビジネスモバイルITベンチャー実録【朝メール】から抜粋します

お礼を伝えたいときにその人は亡くなっていた

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おはようございます。

曇り空。22.5℃@5.20amです。

===ほぼ毎朝エッセー===

□□M君とそのお母さんとお弁当のこと

Kさんの日報を読んであるお弁当のことを思い出しました。

以下引用==>

[Good News/Appreciation Message]
※今日からようやく高校が始まりました。
部活だけですとお昼に学校近くに食べに行くことも楽しみのひとつらしく、お弁当を作る回数も減っていましたが、これからはまた毎日作らなければ!わたしもなんとなく夏休みが終わった気分になりました。

<==以上引用終わり

私の東京での高校1年の頃は、両親がまだイギリス駐在でした。外務省の子弟寮というところで、いわば一人暮らしだったのです。高校には給食がなかったのでお弁当には困っていました。部活は陸上部に入り、そこには学年一俊足のM君がいました。入部して間もなくのことです。M君が声をかけてくれました。

「坂本~、弁当さぁ、困ってるだろ?うちの母ちゃんが作るから弁当箱渡しなよっ。どうせお姉ちゃんの分も合わせて二人分作っているから、二人分も三人分も同じよっ!、てさ」」と。

もちろん、お金を払うと言っても受け取るわけもなく、その後高校では、毎日彼のクラスまでお弁当をもらいに行き、食べ終わると空の弁当箱をそのまま返すという日々。両親が帰国するまでの約1年間続きました。

M君は短距離で愛媛のインターハイに出場するなど活躍しました。大学時代まで少し交流があったM君でしたが、その後は音信不通になってしまってしまっていました。

お弁当から15年後のことです。

1992年夏、バルセロナオリンピックでベンジョンソンの準決勝敗退や100mの決勝を見たときに、ふとM君と、そのお母さんからもらっていたお弁当のことも思い出しました。妻にその話をすると、M君のお母さんにお礼を言うべきだと促されます。早速高校時代の名簿からM君の実家に電話をかけてみました。

電話口にはお父さんが出ました。そして、テレビでオリンピックをみてM君と、お弁当のことまでを思い出した経緯をお話しし、お母さんに電話をつないでほしいと頼みました。お父さん曰く、

「あ、実は、妻はですね...、一昨年末亡くなってしまったのです。交通事故にあって、それが直接の原因ではなかったのですが...、精密検査をしたところ、脳腫瘍が見つかりましして...。その後...」

このように言って声を詰まらせました。自分も思わず声が詰まります。そう。お母さんに改めてお礼をいう機会が持てなかったのです。お弁当のお礼を伝えられず残念だと話します。

「そういう面倒見のいい奴だったみたいですね。亡くなった後もあちらこちらからこういう話を聞きます」

また、M君とは連絡が取れなくなってしまっているようでした。

「もし連絡が取れたら坂本に電話をかけるように伝えてもらえますか」

そのようにお願いして電話を切りました。

携帯電話も無い時代です。翌1993年にアメリカに引っ越しをしてしまい、結局M君との連絡も、2015年現在、未だに取れず終いです。

様々な人にお世話になりながらも、普段はそれを忘れて生きている。お弁当を作ってくれるって子供にとっては当たりまえでしょうけど、ものすごい愛情なのだと、改めて思ったのでした。

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