なぜ「雑」になってしまうのか?
おはようございます。
シンガポールから3回目の朝メ。ちょっとスタートが遅れました。
===ほぼ毎朝エッセー===
□□なるほど「雑」だと魂が抜けていくのか
魂についてTさんDR(Daily Report:日報)からヒントを得ました。
やり取りを引用しましょう。
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昨日の朝メール:
⇒魂がこもったデモサイトになるといいですね。
魂を込めるってどういうことなのか考えてみた
http://blogs.itmedia.co.jp/shiro/2012/02/post-d312.html
「魂を込める」のと「気合を入れる」のとの違い
http://blogs.itmedia.co.jp/shiro/2012/03/post-4baa.html
TさんのDRによる返答:
→改めて「魂」を込めるを考える機会になりました。
私は、やる気はあるので「気合は入って」いるのですが、ずぼらで「雑」になりがちなので、「魂」の込め具合が足りないように感じます。「魂を込めよう」と考えると抽象的でどこから手を付けていいのかわからなくなるので、まずは「雑」を減らしていこうと思います。
⇒そうですね。「雑」にはオーラが宿らない。
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どうやら「雑」だと魂が抜けていき、オーラが宿らないのです。
でもなぜ「雑」になってしまうのでしょう?
面倒くさい?時間がない?あるいは、雑なことに本人が気付いていない?
きっと雑になる一番の要因は本人が気付いていないことにあると思います。「雑」にものごとをやってしまう「癖」なのでしょう。
「癖」は気が付けば直せます。
つまり「雑だなぁ」と思ったら、さりげなく注意してあげることも大切。注意されたら「癖」を指摘してくれたのだと、感謝するのもいいですね。
日々「雑」にしていたら、人生が「雑」なままにすぎていく。もったいないですね。
心がけて「丁寧に」生きましょう!