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ビジネスモバイルITベンチャー実録【朝メール】から抜粋します

インドに新幹線を走らせる夢を追いかけるインド人

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おはようございます。

バンガロールでの三日目の朝。
きっちり3時間半の時差で一人3時間サマータイムをやっています。(^^;)
差し引き日本時間比30分遅れ。こちらの気候は思ったよりも涼しく、20度前後で風も強いです。

Karanth(カラント)さん、という人物がいます。60歳手前でしょうか。その人は、インド南部に日本の新幹線を走らせることが夢だと熱く語ります。今朝はその人について。

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■新幹線をインドに走らせるという夢

「インドに日本の新幹線を走らせる。
  3年前にその夢を語れば、周りから一笑に伏せられましたね。」

カラントさんは言います。

「でも、とにかく動くのです。
  日印商工会議所を現地の日本総領事のバックアップで盛り上げるのです。
  日本の国土交通大臣がやってくると聞けばそこに駆けつけるのです。
  インドの政府関係者とのアポイントメントが欲しいと聞けば調整するのです。」

様々なことを着実に積み上げ、ついには2009年には「高速鉄道の数年以内着工」との政府方針が定まります。そして今、インドは世界の高速鉄道からの売り込みがかけられています。今や誰も笑う人はいません。

「もちろん、自分の力がどれくらい貢献できたかは、ほんのこれっぽちかもしれないけどね。(笑)」

そのカラントさんと昨日、お昼時に語る機会がありました。旧来の知り合いなのですが、今回は妙に熱かったです。

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■お金も貰わず夢で動く

「プロジェクト導入の仲介のようなことをビジネスにしているのですか?」

どのような生業で収入を得ているのかがわからなかった自分は、率直な質問をしたのです。

「いや、そういったことはやっていないです。全くの無償ですよ。」

「え、商工会議所のメンバーフィーからの報酬とかが出ているのかと思いましたが…?」

「いや、あれも無報酬です。簡単な交際費も自分持ちです。
  ニューデリーに飛ぶと言っても自分の費用でいきます。」

「え、なんでそんなことをするんですか?」

「だって、自分が思う通りに動きたいから。
  そしてそれが楽しいから。夢が追いかけられるから。
  南インドに日本の新幹線が走る。
  それだけで気持ちが高揚しませんか?」

カラントさんは続けます。

「Shiroさん、僕は普通以上の暮らしができています。
  それ以上を高望しないのなら、お金はいらないのです。
  株からのリターンも適度にあるし、適度なポケットマネーも使える。
  こういった活動費も出せる。
  それで、夢のあることに力を注ぐことができるって楽しいじゃないですか。」

「え、でも、それって、なんとなく胡散臭く聞こえませんか?裏がありそうと。」

「なるほど、そうかもね。でもそれが事実だし。
  あ、でも、たまに、例えば日本企業からインドでのパートナー企業を探すアドバイスが欲しい。
  コンサル業務の依頼をされることはありますよ。先方がフィーを払うといえばもらいます。
  特に断らないし、別に、金額の大小じゃなくても動きます。
  でも、根本的に違うところで自分は動いているんですよ。夢です。
  なんとか、日本とインドがもっと活発に交流するようにできないか。
  結果的には何かが回ってくるかも知れないけどね。それを前提にしない。」

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★Karathさんと語ったレストランの入口にて

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■カラントさんと知り合ったいきさつ

カラントさんは80年代から90年代にかけて、個人事業主として、インドへの工場建設をする海外企業の誘致調整などのプロジェクトを多数されていました。仕事の中、特に、日本企業の長期的信頼関係を前提とした関係構築に感銘を受けたといいます。そして多数のプロジェクトが成功して一財をなします。その後、カラントさんは1990年代の後半にインドでIT企業を立ち上げたのです。

いいじゃんネットを起業をした2000年当初、日本ではITバブル全盛でした。自分たちは、日本で開発者が思うように集められないのなら、IT立国として世界的注目を浴びていたバンガロールで、プログラム開発を実施してしまおう。そんな蛮勇でカラントさんの会社に乗り込んでいきました。日本びいきのカラント社長、うちのプロジェクトには優先的に人をあてがってくれました。

その後、2003年頃まで、多数の開発を委託したりしたのですが、カラントさんの会社自体も、他社からの技術者引き抜きにあったりして、経営はあまりうまく行かなくなります。2005年にはその会社の株式を手放します。必然的に経営から離れます。

ただ、その後も自分との関係は途絶えず、インド関連で何か相談事があれば、彼を頼るし、カラントさんも来日するたびに連絡をくれました。それなので、今回、いいじゃんネットで、インドでのオペレーションを立ち上げようというときに、まず相談したの彼でした。

そして、今、うちでうちの中核技術者のクマールは、元々はカラントさんの会社に勤めていた人です。そしてクマールがいなければ、今、飛ぶ鳥を落とす勢いのCACHATTOは存在していません。何がどうつながっているのか、人生って本当に分かりませんね。自分が古い友達を大切にすることを重視しているのはそういう理由です。

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■自分もそうなるぞと心に誓う

「ITでは失敗したけどね。
  結局は自分が元々得意だったことで動いていますね(笑)。」

彼はいわゆる、資産家として暮らせているわけなのですが、そこでも動きを止めないのです。より大きな、一般の人にとっては雲をつかむようなお話。そんなことを追求して、徐々に実現しているのです。

カラントさんからの熱い思いを聞いて、自分の考えの小ささが思わず恥ずかしくなります。そこまで日本を好きでいてくれることも驚きですし、その骨折りを、日本側ではたしてどこまで分かっているのか。

「インドに新幹線を走らせる。」

とても象徴的な夢だと思います。彼の助けを何とかできないものかと思ったりしました。そして、自分も夢のために動けるようなベースをつくるぞ。そういう動きをする人間になるぞと。だから今のことをさらに頑張るぞ。と、とてもインスパイアされたのです。

ちなみに、ここのカレービュッフェ、美味しかったです♪

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