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ビジネスモバイルITベンチャー実録【朝メール】から抜粋します

米国MBA取得へのプロセス具体例(2):実際に学校を回り授業を受けて決めました

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昨日の記事に続き、MBAへのプロセス詳細を続けます。

■受験 1992年秋(30歳)
定期的に開催されるGMATやTOEFLを受けながら、点数が思ったように伸びないことに悩みます。「受験勉強の輸出だ」と、強がって予備校を嫌がってみたものの、やはり自己流では厳しいのでしょうか。さらに多くの企業派遣者は、聞くと受験中はすでに人事部付になっていて、予備校に通って受験に専念しているようです。東レではそのように優雅なシステムはありませんでした。

久々に英文法なども勉強し、ジワリジワリと点数を上げていくのですが、どうもそれでは、他の優秀な日本人受験生の中からあえて選ばれる気が到底しません。選考のクライテリアをよく考え直してみます。6つあります。

(1)GMATの受験結果
(2)TOEFLの受験結果(外国人のみ)
(3)エッセー(小論文)
(4)GPA (Grade Point Average)と学部時の成績証明書
(5)推薦状
(6)面接

受験方法として当時一般的だったのは、まず(1)GMATと(2)TOEFLのスコアを整えて、(3)小論文を書き、(4)卒業校から成績証明書をもらって、(5)推薦状を書いてもらい、(1)~(5)を揃えて学校に送る。そして書類選考結果を待ち、日本国内で実施される(6)面接へと進む、というものでした。

学校からのパンフレットや願書を熟読してみます。上記のような順番については一切記載がありません。どちらかというと「ぜひ一度事前に授業を見に来てください」とすらあります。ものは試しと、夜まで待ってある学校に国際電話をしてみます。早速に訪問と面接のスケジュール調整を始めてくれました。どうやら訪問して面接を受けることができるようです。

はたと考えます。自分の強みと弱みとをです。SWOT分析ではありませんが、自分の強みは実際にアメリカの会社と仕事をしていて、東海岸にはよく出張に行き、レンタカーで動き回っていました。ビジネスで通じる英語と土地勘には自信がありました。一方、GMATやTOEFLなどの疑似的テスト環境でのスコアを上げることが苦手です。30歳にもなってからの受験勉強は苦痛でした。

「よし。興味のあるところを、それぞれ訪問して、実際に授業に出て、詳しい内容を聞いて、その場で面接まで受けて、それから小論文を書こう!」と、大まかな戦略を思いつきました。

こうすることで、書類評価だけでの足切りを避けることができ、学校の様子を事前に知ることで小論文を学校の審査官の好みに変えることもできます。相手も人です。学校を実際に見て、思想的に合っていることを言われて気持ち悪いわけがありません。さらに、面接ではビジネス英語が問題なくできるところもアピールできます。書類選考で落とされてしまっては一番のアピールポイントが出せません。そう、順番を変えるだけで物事が優位に変えられそうだったのです。

東海岸なら大抵の大学には車で移動できそうです。さらにシカゴ市はハブ空港なので帰り道に寄ることもできます。夜な夜な電話をかけ、5校とスケジュールを調整して旅行のプランはできました。11月に入ったところで急きょ1週間のお休みをもらいます。飛行機で授業見学と面接の旅に出向きます。

■合格 1992年12月(30歳)
実際に学校の施設を見て、授業を受け、先輩たちの話を聞くと、情報量は全く違います。講義形式の授業がメインのある有名校では、日本人学生が多数いて、コミュニティがあり、代々引き継がれているアンチョコがあるとのことでした。がっかりしてしまいました。

3校目に訪問したバージニア大学のDarden校は、あまり知らない名前でもあり、それほど期待をせずに行きました。ところが、そこで行われていたケーススタディーには、先生のエネルギーと学生との活発なやり取りがありました。さらには地に足をつけて考えれば、見学者の自分にも発言の機会が与えられるようなものでした。

腰を抜かしました。いわば学校への一目ぼれ。「自分が求めていたのはこれだ!」と、大興奮したのです。他の学校とは明らかな温度差がありました。

Dardenで強調しているのは、チームで物事を成し遂げることです。学生には自分ができるContribution(貢献)が求められます。Competition(競争)よりもContribution、その思想も同意できます。興奮のままに面接を受けます。そして、数少ない在校の日本人学生たちも「わざわざレンタカーで見学に来た珍しい奴」と、お昼のカレーパーティーまで開いてくれました。

日本に帰るとすぐ、Mac Classicで小論文を書きます。学校のことが手に取るようにわかるので、論文もすらすらと書けます。自分が何を学校に求め、学校が学生に何を求めているかがクリアになったからです。

12月上旬に必要書類を投函します。そして、12月20日頃でしょうか、アメリカからの電話が自宅にかかってきます。あまりに早い電話、書類の不備があるのかと緊張して出ます。すると、担当面接官からでした。

"Congratulations!  You were accepted at Darden!" (「おめでとう!Dardenに合格です」)

受話器をもちながら文字通り飛び上がってしまいます。夜な夜なの苦労をみてくれていた妻も大喜びしています。最高のクリスマスプレゼントでした。直接訪問、近頃では珍しくなくなったようですが、珍しい頃には効果がありました。戦略的思考は大切です。

東レからは自分を含め、同時期に4名がMBA受験をしていました。MBA受験は随時受付とでもいうのでしょうか、Rolling admissionというスタイルをとっており、合格を知る日は半年以上前後します。2名は12月に決まりました。残り2名は渡米直前の6月まで決まらずにいました。「社内選考は通っているのに合格できない」、その何とも言えない恐怖感とも闘っていました。そういうリスクもあるのです。

4名とも揃って第一期生としてそれぞれのビジネススクールに行けることになった後のお酒は、とても美味しかったです。

以下次号・・・

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