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ビジネスモバイルITベンチャー実録【朝メール】から抜粋します

徹底的に謙虚な生き方を貫いた人

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★先日高校のクラス会がありました。3年間同じクラスだった同級生たちです。その担任の先生が亡くなった頃に書いた文面です。謙虚さは大きな求心力を持つようです。

【朝メール】20080205より__

===ほぼ毎朝エッセー===

□□アイデンティティと謙虚さ

アイデンティティをクリアに打ち出して、それでいてその他のことには徹底的に謙虚でいる、そんな生き方を貫いた人がいます。細身、首を前に亀のように突き出した猫背で、目が細くていつもニコニコしていた人です。

「いやぁ、私はですね、とにかく緑のものが好きなんですよ。だから自動車は運転できません。赤を見るといらいらして  アクセル踏んでしまいますからね、緑を見ると落ち着いて止まってしまう。あと、甘いものに目がないんですね。羊かんとかが大好きなんですよ。」

高校に入学しクラスでの自己紹介で最初の挨拶がこれでした。この緑と甘いものが好きな人が担任をしてくれた新島先生でした。「緑亀」と呼んでいる人もいました。自分の通っていた高校は3年間同じクラスメートで過ごします。担任の先生も3年間同じです。この先生は音楽の先生でした。自分は音楽ではなく工芸というコースを取っていたので一度も授業を受けたことはなかったのですが、この先生、聞くところによるとホロビッツというピアニストに心底ほれ込んでいて、つね日頃「自分はピアノと結婚した」と言っていたそうです。

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日本にホロビッツが来たときなど、まるで恋人がきたように浮き足立ってその報告をしてくれ、ホロビッツが亡くなったときの落胆のしかたは、それはかわいそうなものでした。うわさでは緑のういろうがお昼のお弁当のご馳走だったとか、とにかく緑と甘味とピアノが好きだというアイデンティティをしっかりと持っていて、それ以外には徹底的に謙虚な人でした。

その謙虚さとは、高校生に向かって「ああしなさい」という指示するのではなく、生徒が必ず自分より上であるという姿勢で接してくれることにありました。成績が悪くても、例えばその生徒がクラブ活動に没頭しているのであれば、その人は「必ず急伸するから心配ない」とか、生徒のいい点を見出して、それを徹底的に信じてくれているような人でした。修学旅行のときの約束が、「自分は甘味断ちをします、それなので、皆さんもお酒とかタバコはお控えくださいね。」というようなことを、まじめに言うような人でした。

その先生の下にはなぜだか人が集まりました。緑と甘味とピアノしかない人なので、なんとなく心配になるからでしょうか。クラス会をどの年代のクラスも頻繁に行っていたようです。その先生は高校で6クラスをそれぞれ3年ずつ担任しました。自分たちは受け持たれた最後のクラスだったのですが、先生が退官された後には多数の先輩たちと、6クラス合同クラス会などというものもやりました。自分たちもクラス会をなぜだかほとんど毎年実施していました。珍しいと思います。でもその先生の変わらない様を毎年確認して、なんとなく落ち着く自分たちに安心感を覚えていたのでしょう。

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1週間ほど前のことです。妻から仕事中、携帯に電話がありました。普段はめったなことでは電話してこないので何か緊急事態かと、嫌な予感とともに出ました。

「新島先生、亡くなったんだって、先輩の人から家に電話があったよ。ご自宅で一人で亡くなっていたのを今日みつけたって…」

新島先生はお母さんと同居していたのですが、そのお母さんは15年も前に亡くなっていたのでその後は一人暮らしでした。あるいはピアノと二人暮しと表現するのが正解かも知れません。電話をくれた人は岡松さんといい、陸上部の19歳年上の先輩で、6クラス合同クラス会のときに知り合いになっていました。詳しく聞くと次のようでした。

■毎年1月13日、岡松さんは新島先生と誕生日が同じであることから誕生日プレゼントの交換をおこなっていた。

■今年のプレゼントはなぜだか返送されてきて、先生からのものも届かない、かつ先生への連絡も取れないので心配をし始めた。

■1月28日夜、思い立って先生のご自宅を岡松さんが訪問、様子を見たが全く存在の様子が無く、また新聞もきれいに片付けられていた。

■おかしいと思ったので、本日、確か近所に親戚が住んでいたとの記憶から民生委員会に連絡を取り、民生委員の人と、近所の親戚とが1月29日(今日)午前中に先生のご自宅に入り込んだところ、亡くなっていた先生が発見され、岡松さんはその連絡を受けたところだとのこと。

■その後、新聞は隣の人が片付けてくれていたことが分かったとのこと。

■ご自宅には門松が飾ってあり、年賀状なども取り込んでいたので、正月4日から7日頃に亡くなられたのではないかとの推測している。

亡くなってから3週間以上もそのままだったとは、なんともやるせない気持ちになるとともに、先生のことを心配していたのが教え子であったというところに先生の人柄を感じてしまいます。その最期は寂しかったのだろうか、どのような気持ちでいたのだろうか、さまざまなことが脳裏をよぎります。そして、大きな求心力を失ったことをはっきりと実感しました。

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その求心力はその先生の徹底した謙虚さにあったのかも知れません。そしてその謙虚さは、しっかりとしたアイデンティティで裏打ちされているから、皆の心をひきつけてやまないものだとも思いました。毎年必ず送ってきてくれた緑のピアノをデザインした年賀状、今年も受け取ったのですが、それが最後でした。
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★毎年毎年、必ずこの年賀状が送られてきていました。

新島先生のお通夜、先輩方含め、何百人もきていました。オーケストラ部のOBたちによる演奏でおくるお葬式でした。クラスメートたちとも多数会え、まるでミニクラス会のようでした。自分たちのクラスからは緑をあしらえた供花を出しました。白と緑とカスミソウがきれいにアレンジされていた清楚な生花でした。

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