「したいこと」をするのではなく、「しなければいけないこと」をする
「外出自粛」要請を阻害する「正常時バイアス」
新型コロナウイルス報道から考える『聴く力』と『決める力』を投稿してから、1か月以上が経過しましたが、残念ながら、感染拡大が進んでいます。
週末の「外出自粛」要請が出された週末。東京では、朝から雪が降っていたので、天候的にも「外出自粛」が促進されると思った方も多いのではないでしょうか?
ところが、TVのニュースによると、「外出自粛」要請に従った方々がいる一方で、「禁止ではなく要請だから」「こどもが飽きてしまったから」「お参りだから」等々、「したいこと」を優先している方々がいました。
◆「自粛」とは:自分から進んで自分の言動を慎むこと。
◆「要請」とは:必要なこととして、実現を願い求めること。乞い求めること。
(出典:三省堂 大辞林 第三版)
自分の「したいこと」や「好きなこと」を優先したいと考えることは、人間の心理として自然なことですが、その前提には「他者に迷惑をかけない」という社会通念が存在します。
社会通念は、法律として明文化されていないけれども、人間社会の秩序を守るための了解事項であり、今回の「外出自粛」要請もそれにあたります。
しかし、今回のことに限らず、このようなことが起きてしまう(社会的通念が守られない)背景には、危険性を低く見積もり、根拠もなく「自分だけは大丈夫」と思ってしまう心の動き、「正常時バイアス(normalcy bias)」が存在するからだと言われています。
人間は、予期しない事態に対峙したとき、それを正常の範囲内としてとらえ、精神的なストレスを回避し、心を平静に保とうとします。これは、日々の生活で生じるさまざまな変化や新しい出来事に、心が過剰反応し、疲弊しないために必要な働きとして、自然に脳がそのように働くようにできているからです。
情報の精度を高めても、なぜ、人の意識は変わらないのか?
人は、目に見える『直接的な危機』に直面すると、「不安」や「恐怖」といった感情が湧き上がります。そして、それらの感情に支配されてしまうと、情報の精度を高めたとしても、情報に基づいた冷静な行動がとれなくなります。
また、自分の近くで発生していない『間接的な情報』に対しては、情報の精度を高めたとしても、「自分だけは大丈夫」という根拠のない先入観によって、不適切な行動をとってしまいがちです。
人間には、誰にでも「正常時バイアス」があります。そのため、自分がそのバイアスの中にいることを認識できていないと、危険性を低く見積もり、「しなければならないこと」ではなく、「したいこと」をしてしまうかもしれません。
今、「しなければならないこと」をする
毎日、詰みあがっていく数字は、ただの数字ではなく、危険にさらされている「いのちの数」と実際に失われてしまった「いのちの数」です。
今、できること、それは、一人一人の行動が自分達の未来に影響を与えていることを忘れずに、「したいこと」をするのではなく、「しなければいけないこと」をすることだと思います。
【追記】
先日、リモートワークを実現したいという方からご相談を受けました。どうすれば会社でリモートワークが実現できるかを一緒に考えさせていただき約3週間。
ついに、導入が決定したというご報告をいただきました。