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『批判』と『否定』は別のモノ:「組織」と「人」を破壊する「否定型コミュニケーション」

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「人間性は変えられますか?」「性格は変えられますか?」

仕事柄、このような質問や相談をいただくことがあります。そして、その背景には、多くの場合、「否定型コミュニケーション」が存在します。

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「この人と話をしていると元気になる」
「この人と話をしていると辛くなる」
 この違いはどこからうまれてくるのでしょう?

私は、「人間性」「性格」「価値観」など、『数値化できない能力』による影響が大きいと考えています。(
『数値化できない能力』をどのように感じ取っているのか?)

◆「人間性」(デジタル大辞泉より引用)
  人間として生まれつき備えている性質。

◆「性格」(デジタル大辞泉より引用)
 行動のしかたに現れる、その人に固有の感情・意志の傾向。

◆「価値観」(デジタル大辞泉より引用)
 物事を評価する際に基準とする、何にどういう価値を認めるかという判断。

「人間性」は、生まれつき備えている性質であり、遺伝子が深く関わっているため、性質そのものを変えることはできません。一方、「性格」や「価値観」は、後天的な経験や環境によって身につけた感情や思考の傾向なので、変えることができます。

つまり、根本的な気質である「人間性」は変えられませんが、「性格」や「価値観」は、感情や思考をトレーニングすることで変えられます。

例えば、EQ:Emotional Intelligence Quotient(感情知性)やCritical Thinking(批判的思考)を磨き、感情や思考が変化すれば「否定型コミュニケーション」を軽減させることができます。

「批判」と「否定」は別のモノ

「〇〇の件について、批判された
「〇〇の件について、否定された

「批判」という言葉は、「反対する」「受け入れない」といった言葉のもつイメージから「否定」という言葉と区別せずに使われるケースも少なくありません。

◆「批判」(デジタル大辞泉より引用
 ①物事に検討を加えて、判定・評価すること。
 ②人の言動・仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること

◆「否定」(デジタル大辞泉より引用
 そうでないと打ち消すこと。いつわりであるとすること。

Critical Thinkingが、日本語で「批判的思考」と表現されるとおり、「批判」には、検討したうえで判定・評価するという、客観的な情報分析や検討の意味が含まれています。
一方、「否定」は、客観的分析や検討は含まれず、主観だけで対象を拒絶するという意味合いが強く、「批判」と「否定」の本来の意味は、大きく異なります。

「組織」と「人」を破壊する「否定型コミュニケーション」をしている人は、客観的分析や検討が含まれた「批判」ではなく、主観だけで対象を拒絶する「否定」をしています。

また、「否定型コミュニケーション」をしている人の多くは、「無意識」であるため、自分が「否定型コミュニケーション」をしていることに気づいていません。

そのため、残念ながら、「組織」や「人」が壊れた時、初めて「否定型コミュニケーション」の存在が顕在化することになります。

「自己優位性」の罠

「スポーツは相手と戦うものなので無観客でも成立するが、演劇は観客に見せるものなのでそもそも観客なしでは成立しない」

これは、先日、劇作家で演出家の野田秀樹氏が発表した意見書の一節ですが、私は、この部分を読んだときに、これも「否定型コミュニケーション」の1つだと感じました。

「演劇人として劇場公演の継続を望む意見表明」をするのであれば、そのことだけを意見として表明すればよいのであって、スポーツを引き合いに出して、スポーツは無観客で成り立つ(≒観客はいらない)と言う必要はないからです。

このように、直接的な否定の言葉を使っていなくても、自己優位性を保つために、何かと比較することで、間接的な「否定型コミュニケーション」になってしまうことは多々あります。

それは、人間が、心理的に自分の優位性を保持しよう、保持できなくなったら防衛反応をとって、自分の優位性を維持しようという傾向があるからです。

私は、無意識に「否定型コミュニケーション」をしている人は、この自己優位性が強く、結果として、以下のような言動につながっていると考えています。

  • 自分と異なる考えを否定する
  • 比較対象を否定してから、優位性を話す
  • 良いところは褒めず、欠点だけを指摘する
  • 人のせいにして責任を取らない
  • 感情的になり、怒りをぶつける  etc...

「ふつうは」「当たり前」はNGワード

そして、自己優位性が強くない場合でも、無意識に「否定型コミュニケーション」をしてしまうことがあります。

読者の皆さんは、普段のコミュニケーションで「ふつうは、〇〇」「〇〇は、当たり前」「常識的に考えると、〇〇」というような言葉を使ってはいませんか?

もし、少しでも「ドキッ」とした方は要注意です。このようなフレーズが出てくる時は、相手の言動と自分の期待がズレている時であり、皆さんにそのつもりがなくても、相手は否定されたと感じることがあるからです。

ふつう・当たり前・常識の定義は、とても曖昧なものです。国、地域、人、経験などが異なれば、定義も異なります。

「ふつうは」「当たり前」「常識的には」という言葉が出そうになったら、その言葉をのみこみ、相手と自分の共通認識を合わせるために、定義を言語化してほしいと思います。

「ことばの力」

言葉は、人を励ましたり、元気にしたりする一方で、刃になって、人を傷つけたり、悲しませたりもします。コミュニケーションは、チームワークや職場の雰囲気に大きな影響を及ぼします。

「批判」と「否定」は別のモノです。

「否定型コミュニケーション」は、「組織」と「人」を破壊します。
もし、環境が変わらない場合は、その環境に見切りをつけることも重要です。

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