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『犠牲』という言葉が気づかせてくれたこと 

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この数か月、心の奥に引っかかっている言葉がありました。
それは、ラグビー日本代表の方々が使われていた「犠牲」という言葉です。

「この時のためにすべてを犠牲にしてやってきた。最高の結果を出せて本当にうれしい」
「いろいろな人が沢山の犠牲を払ってきました」
「誰も僕らがどれだけのものを犠牲にしたか分からないし、信じているのは僕たちだけ」


◆犠牲(スーパー大辞林 3.0版より引用)

  1. 目的のために身命をなけうって尽くすこと。
    ある物事の達成のために、かけがえのないものを捧げること。また、そのもの。
  2. 「犠牲者」の略
  3. 神にささげるために生き物を殺すことやその儀礼。また、その生き物。いけにえ。

人は、「言葉」という不確実なものを使って、自分の意思や感情を表現し、相手に伝えようとします。私が「言葉」を不確実なものと表現した理由は、辞書的な「言葉」の意味を理解していたとしても、誰かが「言葉」を発した時、その「言葉」が意味以上のものになって相手に届くことがあると感じているからです。

どのような言葉を選び、使うのか、それは、使う人によって変わります。また、使う「言葉」がまったく同じであったとしても、相手との関係性や受けとる人によって感じ方が変わります。

「犠牲」という言葉が、心の奥に引っかかった理由。

それは、「悲しい出来事(例:戦争の犠牲)」や「否定的な意味合い(例:○○の犠牲になった)」で使われる言葉が、日本のラグビー史上初の最高の結果が出せている状況で使われることに違和感があったからです。

■「犠牲」≠「幸せ(Happiness)」という無意識のバイアス

数か月間、心の奥に引っかかっていたことがストンと自分の中に納まる時が訪れました。

それは、先週末、12/14-15に開催された『組織のWell-Beingを最大化する技術と実践』パネルディスカッションで、タル・ベン・シャハー博士と中竹竜二氏(日本ラグビーフットボール協会のコーチングディレクター)の対話の中にありました。

中竹氏がお話してくださったエピソードやタル・ベン・シャハー博士に向けてくださった「問い(「犠牲」と「幸せ」の関係性について」)のおかげで、私自身が「犠牲」という言葉のイメージに囚われていたこと、なぜ、日本代表チームの共通認識が「犠牲」という言葉になったのかということを理解することができました。

そして、もし、誰かの、または、何かの「犠牲」になっていると感じることがあったら、これからは、次の3つを自分に問いかけたいと思っています。

①達成したい目的が、自分の幸せ(Happiness)であるのか?

②幸せ(Happiness)を構成する一部として「犠牲」が包含されるのか?(Wholebeing)

③誰かや何かに強制されるのではなく、自らの意思で「犠牲」を選んでいるのか?

Wholebeing(「必要な結果」と「重要な過程」)

『組織のWell-Beingを最大化する技術と実践』の中で、タル・ベン・シャハー博士が何度も使われていた言葉の1つに「Wholebeing」という言葉があります。

これは、モノゴトの断片ではなく、モノゴトの全体がよい状態であることが大事という意味です。「万学の祖」と呼ばれる古代哲学者アリストテレスの言葉にも "The whole is greater than the sum of its parts.(全体は部分の総和に勝る)"という言葉があります。古代からこのような「言葉」が存在しているのも、人は自分に見えている部分、特に「必要な結果」だけに意識を奪われ、全体でモノゴトを観ることを忘れてしまうからかもしれません。

ラグビーの日本代表の方々は、モノゴトの全体がよい状態であるために、常に「重要な過程」に光を当てていたように感じています。

例えば、『ONE TEAM』が流行語にノミネートされた際も、「そんな簡単なもんじゃないですよね」「どんどん積み重なって気づいたら『ONE TEAM』になってて...」と、「重要な過程」について、コメントをされていました。

「必要な結果」を手に入れるためには、「重要な過程」が存在するということは誰もが知っています。ところが、「必要な結果」に注目が集まれば集まるほど、「必要な結果」に囚われればば囚われるほど、「必要な結果」に目を奪われ、「重要な過程」が「必要な結果」の後ろに隠れがちになるような気がしています。

そして、「重要な過程」に対する意識が薄れると、「必要な結果」を求めるあまり、モラルが失われたり、規則が破られたりすることもあります。(例:スポーツ選手のドーピングや企業の粉飾決済や不正問題など)

「犠牲」という言葉が気づかせてくれたこと。

それは、「必要な結果」は、日本ラグビーの発展であり、それは「犠牲」という言葉であらわされる「重要な過程」の先にしかないということ。

そして、その「重要な過程」は、「努力」や「一生懸命」という言葉ではあらわせない、自らの意思で選んだ幸せのための「犠牲」であるということ。

このことを、タル・ベン・シャハー博士は成功をつかみとるまでの旅(Journey)から喜びをつかみとるということ。もし、負けたとしても、何らかの幸せ(Happiness)が残るということ」という表現をされていました。

まだまだ、このワークショップについて伝えたいことは沢山あるので、またの機会に書きたいと思います。そして、次回、3回目のタル・ベン・シャハー博士の授業(来年の夏)を心待ちにしながら、Wholebeingな日々を過ごしていきたいと思います。

1回目:「ハーバードの人生を変える授業」タル・ベン・シャハー博士

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