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ブランドコンテンツとしての「零戦」

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『“零戦開発”に見る日本式技術戦略の問題点』という題で先日からボランティアレポートに取り組みました。

零式艦上戦闘機(以降零戦)は、戦艦大和と並び、先の大戦におけるわが国の代表的兵器として知名度も高く、今日も小説・映画で扱われれば商業的にヒットするそうです。

しかし、零戦といえど兵器であり、先の大戦で被害を受けた方や関連する方々は少なからず嫌悪を持つ可能性があるのではと考えます。

そのような兵器が何故ブランドコンテンツとなりえたのか?零戦の何が日本人の心を掴むのだろうかと考えてみました。

1.明治維新から欧米列強に臥薪嘗胆の思いで追いつく努力を続けてきた辺境の新興国・日本が、絶望的な技術の遅れを極めて短期間に取り戻し、短期間に世界最先端の技術集約分野である航空機戦力で列強を圧倒し得たという快哉

2.無条件降伏という形で敗戦を迎えた民族の自信喪失を乗り越えるための、開戦当初の華々しい戦術的成功の象徴・同時に敗戦間際の特攻兵器としての悲劇の象徴として結晶化した神話の担い手

3.大洋を飛び越え活躍し、それを駆使しえた民族としての誇りのよりどころ

といった様々な説をあげて見ました。

これらに共通した意識は、小さな島国の民族が近隣の大国の持つ圧倒的な物量と技術レベルの格差という潜在的脅威に対して「巧の技」や「根性」で乗り越え、一時的にせよ世界に名を成す「成功」を勝ち得たことなのではないかと思うように至りました。

歴史的な我が国の産業基礎力の脆弱性、つまり天然資源がない、日本語という素晴らしいが世界の人口割合からするとマイナーな言葉を使っている、鎖国から不平等条約提携という、うかうかすると植民地化されるという危機感に対して、「その限界を如何に克服するか」という筋書きを発見できることに胸がすっとするような思いをもてることも重要な要因ということではないでしょうか。

 ネットで見たのですが「風たちぬ」を製作された宮崎駿さんが「捏造された零戦の神話が繰り返され不愉快である」とおっしゃったそうです。零戦の設計を扱った映画を苦心して良質なエンターティメントに昇華されようとしたことに敬意を持っておりますが、零戦の神話は不愉快だという。

零戦の神話が何故いけないのかということが大事だと思い経営コンサルティングを試みる価値があるのではと思い、取り組んだものです。

それで判ったことはいろいろあったのですが、零戦は最強ではなかったということです。零戦が最強と言えた期間は1年足らずで、その後3年以上はかなり不利な状況で米軍などの、どんどん技術革新される兵器と戦わなければいけなかったことでした。なぜ不利な状況に陥ってしまったのかという点を反省することが重要だと思い技術開発の側面からトライしてみました。しかし、その悲劇の要因は技術だけでなく組織、民族、多くの要素から影響を受けているのではないかと現在では思っており、その辺りの根本的な問題は戦後70年経っても未解決であるのではと考えたりしています。

CDIのホームページに抜粋版を掲載しています。ご興味のある方は是非ごらん下さい

 

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