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お茶の間とは何か

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久しぶりのブログになります。読んでくださった方感謝です。 日本の地上波番組はまだまだ面白く、テレビを見ていて不快になることは海外ほど多くはないけれど、昨今確実に増えています。

そのひとつが「お茶の間の皆様にお届けします」といった紋切り型のトークです。我が家にはお茶の間と定義した部屋はありません。知人の家にもありません。阻害感があります。

先日確信犯として友人の新居にお邪魔した折に「ところでお茶の間はありますか」と聴いてみました。すると「特に想定していません。普段はリビングで過ごしますから」と返答頂いた。リビングなら我が家にもある。ならなぜ「リビングにお届けします」と言わない。かなりの確度でヒットする。 10歩譲って「リビングもしくはお茶の間にお届けします」でも良いのだか。非常にいらいらします。

テレビ業界の方は日本の生活様式をご存知ないかもしれない。それで昭和初期の言葉を先輩から言われるままに使っているのかもしれない。それはマスメディアとして根本的に資質を問われるのだけれど、20歩譲ってそうなら仕方ないです。それでも日本の視聴者の皆さんは大人として「まあテレビがおいてある部屋のことを言っているのだろう」と捉えているかもしれません。

放送行政を管轄している官庁から「視聴者がいるところはお茶の間といいなさい」と省令が出ているのかもしれない。そうしたら逆にテレビ局の方々はある意味、被害者になります。しかし、各省庁のホームページを検索したが、そのような事実は発見できませんでした。あったら教えて下さい。

茶の間とはそもそも何かと検索してみたら囲炉裏にいきあたるようだという記事がありました。昔から囲炉裏は日常生活の中心だったそうです。囲炉裏を核として人々は語り合い、食事をし、そしてお茶を楽しんだそうです。そうするとリビングにあたります。

一方、やはり茶の間の由来は茶会に使用する茶室なんだという意見がありました。千利休が茶道を完成させた後、お茶は武士階級のみならず庶民にまで広まり「茶の間」と呼ぶ部屋が普及したそうです。そうだとするとこれはゲストルームもしくはダイニングに近いのかもしれません。

テレビでしか、このような言葉を使わないと思っていたら、書評や調査書にもこの言葉は活用されています。例えば「パソコンのようにアプリケーションが使えるテレビすなわち「スマートテレビ」が、将来のお茶の間の主役になる」といった表現です。将来のお茶の間と言う言葉自体が破綻しているのだが、そうと言われてすぐに理解できる方がおられるのかどうか大変疑問です。

ましてやいまやテレビはリビングでの視聴のみならなず、寝室や屋外でも良く利用され、カーナビにもフルセグがつく時代です。ワンセグなど入浴中に良く見られていると聞きます。そのような視聴行動をとることを想定していないとまで言えるのではないでしょうか。これで想定個人属性にマッチングし、ユースケースを仮定した広告手法を日々研鑽しているネット広告に太刀打ちできるのでしょうか。50歩譲って「リビングもしくはお茶の間、屋外、通勤途上、もしくは日本各地それぞれで御覧になっている視聴者の方々にお届けします」と正確を期すると口上としては長くて失格ですね。非常にいらいらします。

日本のマスメディアは体質が古く新たな業態変化に国際的にも遅れがちだと言われているようですが、私は最も大切な視聴者に向けて、50年来の言葉を使い続けることに違和感を覚えない処に危機感を覚える次第です。

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