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公害を知って半世紀、香害来襲から6年。問題は、柔軟剤の香料だけにあらず(前)。 ~日用品公害・香害(n)~

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1982年、富士通のFM7が登場。この頃から、パソコンが普及し始めた。大学でBASICの講座が始まったのもこの頃だ。とはいえ、プログラミングやゲームに関心のある個人ユースでは普及が進んだものの、法人では遅々として進まなかった。タイプライター文化のない日本では、キーボードからの入力がネックだったし、身体を動かさず移動もしない作業は仕事とみなされない空気があったからだ。
そうした背景があり、ブログやSNSで発信する年配者は多くはない。昭和からの自然や生活の変遷の情報は限られる。
公害を知って半世紀、地域への香害来襲から6年。筆者の体験を時系列で整理してみる。

1970年代、住宅造成により、種や球根や微生物を含む豊かな黒土が消えた。工業地帯では大量のボラが河口に浮いていた。学校の屋外授業は、頻繁に光化学スモッグ警報で中断された

護岸工事が始まり、河川敷になった。これにより、葦の原は消え、自生していた多数の草花が消え、植物群生の移り変わりが消え、鳥や虫の姿が消えた。生態系が崩壊するリスクを、大人たちに訴えても、スルー。高度経済成長の熱狂を危惧する人は、すくなくとも筆者のまわりにはいなかった。(それ以降、筆者は清貧≒エコロジカルフットプリントでいえば地球1個分未満の暮らしを心がけている)

小学校の菜園で、筆者は級友たちと野菜を作っており、その成果は給食になった。土が肥えていれば無農薬・無肥料・無除草剤でも作物は容易に育つ。それが当時の常識だった。

自然との共生。にもかかわらず、水洗化が進んでいなかったため、各家庭には、自治会から、殺虫目的で、スミチオンが「使い方の説明はそこそこに」配布されていた。化学の知識などない民間人ばかり。各家庭の管理はずさんで、希釈も適当。希釈しなければならないことさえ理解していない人もいた。

その頃、理美容品の種類は限られていた。化粧品は、化粧水と乳液とファンデーションに口紅程度。それでも、皮膚へのダメージはあった。母が参観日や外出時に化粧をするたび、皮膚を観察して、有害性を確信した。洗顔で下水に流れることから海洋汚染も懸念された。(そして筆者は大人になっても化粧はしないと決意し、それを貫いている。)
ヘアケア剤はオイル程度、パーマをかけてもカラーリングする人はいなかった。ネイルにいたっては、その概念さえなかった。
香水は、特別な階級の人や業務上必要な人が使うものであって、一般には用いられていなかった。
これらの理美容品は、高校卒業後使うものとされており、コスメを使う小中学生はいなかった。

1970年頃の河川が水銀汚染されていたことを知ったのは、1975年前後だ。赴任してきた理科の教師が、たまたま、筆者が小学生だった頃の河川の水質調査をしていた人だったのだ。筆者の自宅はその河川の近くで、上水道が敷設されたのは1974年。それまでは地下水を飲用にしていた。しばしば海水の塩分が混じり、飲用には適さなくなった。ミネラルウォーターなどない時代、夏休みの間、大きなやかんを提げて、塩が混じっていない地域から水を調達した。

1980年頃、界面活性剤のリスクを知った。手湿疹とアカギレが両手全てに及んだ。原因は1970年頃から使っていた台所用洗剤。当時はそれ一択で、代替品はなかった。皮膚科のステロイドでは一進一退、漢方は合わなかった。3年ほど苦しんだが、勤務先での外食が増えて自炊の機会が減ると、回復した。

1983年、ダイオキシン問題が持ち上がる。当時の勤務先が、セキュアな設計図の焼却炉を、自前で設計製造して設置した。ところが、稼働し始めて数カ月後、突然、使用中止を決定。11月、ごみ焼却灰からダイオキシン類が検出されたという、愛媛大学農学部、立川凉教授(のちに「JEPA - ダイオキシン・環境ホルモン対策国民会議」を創設)の発表を受けてのことだった。経営陣が即断したのだ。

1984年頃、化学物質のリスクを知った。業務上の曝露で接触性皮膚炎を生じ、両手の皮膚がなくなった。大学病院の皮膚科医がパッチテストで原因製品を特定、勤務先の配慮と配置転換により、2年で回復した。ただし、その間、出向先で試作時の樹脂粉末を吸い込んでしまい、10数年間ひどい鼻炎であった。これは、空気の良い山奥に移住したところ1年で回復した。

固形石けんひとつで事足りることを知った。洗濯は汚れた部分を石けんで手洗いし、そのまま二槽式洗濯機に入れて一回転。台所では固形石けんを亀の子タワシに擦り付けて使う。洗顔も洗髪も同じ石けんひとつで事足りる。父が石けんひとつで済ませていたので、可能であることは知っていた。ただし、父には洗うほどの髪はなかったので、洗髪にも石けんが使えるとは知らなかった。

この頃、昭和中期からの全国的な石けん運動を背景に、合成洗剤から石けんに切り替える人が徐々に増えた。合成洗剤は富栄養化を招き漁獲高に影響するとされ、無リン化が進んだ。スクラブの害も知られ始め、洗顔料を選択する際の指標になった。

1986年頃、新技術にはベネフィットとリスクの両面があることを知った。新素材用途開発プロジェクトに参加しており、特許情報を調べるほど、製造時と廃棄時の、化学物質のリスクを考慮する必要性に気付かされた。

この頃、自宅から2~3km地点の化学工場で爆発事故があった。地震かとおもう衝撃だったが、筆者宅に被害はなかった。ただし、工場から1.5km地点の商店街のショーウィンドウは木っ端みじんになり、道路に散乱していた。買い物客のいない明け方だったため、けが人が出なかっただけだ。

1988年、自然栽培を知った。愛媛県民の福岡正信翁のマグサイサイ賞受賞が、新聞で大きく報じられた。無農薬・無肥料・無除草剤だけでなく、不耕起で作物が育つことに驚いた。
立川凉教授と、福岡正信翁と、真鍋淑郎博士は、愛媛県の3大偉人に違いない。

2004年頃、ナノテク推進上のベネフィットとリスクを知った。プロジェクトリーダーを務めていたいた開発案件で、論文に触れる機会があった。ナノテクが子どものお使いでも買える(年齢などの制限がない)日用品に適用されるtとは、常識を超えた想定外の用途であって、研究者たちは誰一人として想定していなかったtはずだ。後に香害に直面し、斜め上すぎる商品企画に面食らった。2019年春、「マイクロカプセル香害」を読んで、開発思想の背景にナノテクの強硬な推進があったことを知り、愕然とした。
日用品メーカーのマーケターは、分野を越境し、ベネフィットだけを見るのではなく、リスクも予測したうえで、新製品を企画すべきだ。

2006年、化学物質の評価書の情報が、必ずしも現実を反映していないことを知った。プログラミング本の巻末付属コラムを書いていたときのことだ。自治体が配布する家庭ゴミカレンダーから廃棄時の化学物質の説明にリンクするシステムについて書くため、豊島の産廃問題を起点にbingっていた。すると偶然、かつて業務上曝露の原因となった化学物質に行き当たったのだ。勤務先がホワイト企業で、万全の配慮と対応をしてくれたため、労災の申請など考えもしかった筆者の事例は、カウントされていない。このことから、エビデンスがあったとしても、データ化されていない情報は含まれていないことを、頭の片隅に置いておかなければならないと思うようになった。

2007年、書籍「化学物質過敏症」を読んだ。石川哲、宮田幹夫、柳沢幸雄 著、2002年刊、 (文春新書 230)。3人の教授たちの足跡と、同書を書いた勇気に、驚いた。これから読まれる方は、刊行されたのが2002年であって、現在の医療の状況ではなく、2002年以前の状況と照らし合わせて理解する必要があるだろう。

この頃から、新聞紙上に、化学物質過敏症者の記事を、時折目にするようになった。その一人は、シックハウスから発症した愛媛県民で、化学物質過敏症者の自助グループを立ち上げた人だという。取材場所は県内の公園。樹々が多く、農薬散布時期には、自助グループに事前の通知があるそうだ。

2012年、親族に、日用品由来とみられる不調が生じた。相談に乗り、皮膚の症状から、規定量以上を使用していた洗剤とシャンプーが原因とおもわれたので、「化学物質過敏症」の本と石けんを渡したが、理解されなかった。

2014年、親族の体調が悪化、休職した。主訴は頭痛。ふたたび相談を受け、複数の病院で除外診断、化学物質過敏症の専門医がいる高知病院の問診票を取り寄せた。だが、当時は、化学物質過敏症といえばシックハウス由来でガスマスク生活という認識があったため、日用品由来でマスクが不要の親族は、専門医を受診するほどではないと言い、受診しなかった。JRでの遠路になり、体力的に厳しかったという理由もある。
専門医までは、紹介状で非常にスムーズにつながった。自治体によって異なるのかもしれない。しばしばSNS上では、医師が化学物質過敏症を知らず、たらいまわしになるという嘆きを目にする。

2015年、初めて衣類への移香に遭遇。古着屋で購入したデッドストックのLevi'sのベストに、香料が付着していた。これが噂のダウニーか?とおもった。強い移香だったが、繰り返し洗濯で除去できた。arauかバードを使ったようにおもう、

2016年、有機溶剤の曝露症状を知る。自宅の浴室リフォームで曝露した。掃除だけを外注するはずが、リフォーム話に発展、油性塗料ではなく水性塗料で交渉するはずが、叶わなかった。工事当日、目と喉と鼻に急性症状が出た。在宅自営のため、終日曝露することになる。冬季でベイクアウトもできない。検索して、症状からキシレンが原因だとアタリを付け、キシレン対応のダイキンの空気清浄機を設置。光触媒やゼオライトや備長炭なども試した。浴室を使えるようになるまで1カ月。目と喉は速やかに回復したが、鼻炎が長引き、完全回復までは1年を要した。
前述の親族がボールドを使って訪ねてきたとき、喉に若干の閉塞感をおぼえたことがある。単発で終わったが、油性塗料による気道閉塞感のごく軽いものだった。この体験から、香害原因製品に含まれる物質による気道閉塞はありうると考えている。

2018年12月24日、「香害」という言葉を知った。愛用のブランケットがアクリル混の綿で、洗濯するとマイクロプラスチックが出るおそれがあることから、オーガニックコットンのブランケットをネットで購入。これがクリスマスイブに届いた(そのため、記事のアイコンは、クリスマスツリーの絵だ)。開封すると、強烈な洗剤臭が付着していた。ショップは2度目の利用。海外メーカーの品。包装は無臭で、ブランケットだけ異臭を放っていた。店頭展示品だった可能性を考えている。洗濯と天日干しを繰り返し、2年後、完全に除去できた。
なぜこのような強烈な香りが付着するのかと疑問におもい、検索して「香害」を知った。その先にある未来に危機感をおぼえ、かつての公害を知る世代のひとりとして、また、科学技術と自然回帰のバランスを考える者の一人として、ブログを書き始めた。とはいえ、2018年~2019年2月末の間は、香害に直面することはなかった。

2019年3月2日。地域に香害来襲のきっかけとなる出来事が起こった。
御用聞きで箱アタック(アタック 衣料用洗剤 粉末 高活性バイオEX 1.0kg)を購入するため、ドラッグストアに出かけたところ、棚は空。店員は「もう入荷しない」と言う。すぐに帰宅してamazonで箱買い。知人や介護関係者たちは、複数店舗めぐりでストックした。

2019年の初夏。急速に、地域内の空気が変わった。住民たちがまとめ買いした箱アタックが切れ始めた頃だ。
花王が圧倒的シェアの地域で、arauやそよ風以外は、箱アタックのユーザーだ。代替品に困り、適当に購入した住民、多数。
隣家の外干しの洗濯ものから、強い香りが漂ってきた。ところが、数日すると無臭になった。驚いて使用を中止したようだ。そして、また別の香りが漂ってきた。これも数日で無臭に。これが5~6回繰り返された。ほかの世帯も同様で、一時期、ミックスした異臭が、用水路からたちのぼっていた。
ところが、店頭から消えた箱アタックは、容量変更の後、店頭に並び始めた。地域内の空気は、元の状態に戻った。

2019年、特定メーカーの柔軟剤のニオイを記憶した。前述の親族が、休職中に香りを趣味とし始め、ルームフレグランスほか多くの香り付き製品を試していた。洗濯洗剤はボールドを使用。その香りをまとった状態で、しばしば来訪。玄関のドアを開けた途端、家の中に製品臭が充満。短時間の滞在でも、空気清浄機のにおいランプが赤色になる。数時間経っても緑に戻らない。そこで柔軟剤の使用を控えるようお願いしたところ、「柔軟剤は使っていない」という返事。ボールドには柔軟剤のレノアが配合されているが、それを知らずに使っていたのだった。誤解が解け、さらに、強く香っていた原因は、来訪前に一吹きした柔軟剤スプレーが原因だとわかった。これをやめてもらったところ、ニオイは半減した。それでも、衣類への移香は避けられず、水道検針員が漏水ではないかと疑うほどの、繰り返し洗濯が必要となった。

2019年4月から、ブログの公開を開始した。筆者の執筆スタイルは、連載の場合、すべての回の骨子を固め、仮のタイトルを考えたうえで、全体に肉付けして編集して仕上げていくというもの。そのため、第1回公開時には、最終回(第24回)はラフに書けていた。さらに、Xで、啓発を始めた。そして6年、現況は......(長くなるので、次回に)

ここまで読んだ方は気付いていることだろう。香害は、「柔軟剤に含まれる人工香料が引き起こす負の現象」にとどまる言葉ではない。背景には、製品の開発思想の問題がある。「香害」この二文字は、科学技術のベネフィットとリスクを天秤にかけず、ベネフィットだけを見て、化学物質を礼賛しすぎた、われわれのライフスタイルの問題をあぶりだしている。

環境が病むから、その中で暮らすヒトが病む。ひとりからでも、ひとつからでも、環境負荷を低減させる姿勢を持ち、実践することが重要だ。消費者のひとりが少しライフスタイルを変えたくらいで何も変わらないという嘲笑は放っておけ。ハチドリの涙でいいではないか。わずかでも低減するなら、何もしないよりは、はるかにマシだ。

ささやかな行動が、未来を変える、きっかけを生む。

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