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ヴィジュアル、サウンド、テキスト、コードの間を彷徨いながら、感じたこと考えたことを綴ります。

生まれてきた意味、生きる意味。 ~Still in Solitude(n)~

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生まれた時たしかに、生まれてきた意味を記憶していたーーーはずなのだが、霧の彼方。
思い出せない。早朝、夢うつつの中で沸き上がったアイデアを、目が覚めたら忘れてしまう、その状態に似ている。
記憶を辿りようやく探りあてたのは、「生きる意味を知るために、生まれてきた」という、理解し難いものであった。
もっともこれが、「生まれる意味を知るために、生まれてきた」ならば、出口なしの再帰処理だが、「生きる意味を~」だから、まだいい。答えの見いだしようはあるのかもしれない。
ほんとうに、それが記憶していたことなのか。そうにちがいない、とおもっているのは本人だけだ。

その昔、20代前半、このテーマについて、同僚と話したことがある。
エンジニアリング会社の電子事業部に勤めていた頃のことだ。
残業でも追いつかぬ繁忙期。疲労をひきずったまま休日出勤したら、隣席の同僚も、重い石を背負ったような様子で出社していた。
昼食をとった後、図書室でお茶を飲みながら話した。ふたりとも、午後の作業に向かう力が枯渇していた。
書架には、図書の担当者の趣味なのだろうが、「日経メカトロニクス」や「ラジオ技術」などの雑誌に並んで、人生哲学や成功哲学の本が林立していた。
そうした本のある場所だったからなのか、技術の話ではなく人生の話になった。

その同僚は言った。
「あとひと踏ん張り、がんばらないとなあ。生きるのって、しんどいときがあるよね。みんな、生まれてきた意味を知らないから、しんどくなるんだろうな。オレも知らないし。」

この一言は、青天の霹靂だった。
「えっ、みんな、知らないの?」

「???普通知らないよ、えっ、えっ?」
今度は、同僚の方が驚いた。

「えー、そういうテーマについて、これまで誰とも話したことなかったし、それ以前に、みんなは、知ってても、そもそも個人的なことだから、あえて話すようなことじゃなし、口を閉ざしているんだと思ってた。」

われわれの部署では、すべての業務が、ドキュメントベースで進んでいた。黙々と図面を引き、試作品と照合して、一日が終わる。ムダな会議や打ち合わせはない。同僚と世間話をすること自体が、珍しかった。
だからか、この時の、この会話は、筆者の記憶領域に、強く、刻まれた。

あれから数十年。
転職し、看護離職し、介護を始めて、親と話す機会が増えた。それまでは、生き延びるだけで精いっぱい、話す機会などなかったのだ。
ある日、ふと、尋ねてみた。「生まれてきた意味って、何だとおもう?」
親いわく「怒ったり、泣いたり、笑ったりするってことが、生きるってことでしょ、それがおもしろい、だからおもしろいんじゃない。」
無邪気に感情のまま生きる、親らしい答えだ。
だがそれは、親という個体の生きる意味だ。ほかの個体のそれとは、違うかもしれない。

この社会での暮らしは、果てしない苦役だ。いつ解放されるかわからない、ブラック労働のようなものだ。
平穏だけを望んで、時間をやり過ごしている人が、どれほどいることか。
生まれてきてよかったと呟く人生を、いったい何割の人が手に入れるのだろう?

考えることを生業とする者の腕を、考えることから逃れたい者が掴む。
彼らは、筆者のような人間の行く手を遮っては、言い募る。
「生きていくのはしんどいなあ、面倒くさいなあ、なんで生きなくちゃいけないのか、あんたなら知っているだろう、教えろよ」と。

誰かに考えてもらう、誰かに答えを教えてもらうほうが、ラクで簡単、手っ取り速い。ファストフードならぬ、ファストフィロソフィ。
いや、あなたのもとめる答えを、筆者は知らない。
それぞれが、見い出すしかない。その結果、同じだったという可能性はあるとしても。

ヒトなら同じ。唯一の答え。それはきっと、幻想だ。
他者に求めるな。自身に問え。

生きることは辛い、だが、死にたくもない。それでも、ニュースをチェックする。食べる。息する。空を見る。ぎりぎりの地点でせめぎあいながら、流れてはいない時間を通り過ぎる。

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