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ヴィジュアル、サウンド、テキスト、コードの間を彷徨いながら、感じたこと考えたことを綴ります。

思考の方法が違えば、理解が遠のく。相互理解を難しくする、ひとつの原因。

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昔、連載記事の中で、デザイナーとプログラマーの相互理解について取り上げたことがある。ユニット名義で書いていたが、デザイナーとプログラマーの共同執筆ではなく、筆者が単独で執筆していた。両者の視点を使い分けていたのだ。

当時はまだ「デザイン」イコール「ビジュアルデザイン」という認識が、根強かった。そのため、デザイナーといえば、色や形を扱う人であった。全員がそうではないにせよ、対象をイメージで捉えるその思考方法は、多くのプログラマーたちのそれとは異なることがある。この違いが、あちらこちらのプロジェクト内で、相互理解の妨げとなっていた。

今でもこの問題は根強いようで、「デザイナーとプログラマー」から、「デザイナーとエンジニア」に形を変えて継続している。検索すると、「協力」よりも「違い」といったキーワードが目立つ。

ヒトは多様だ。イメージ寄り、あるいは、ロジック寄り。中には、どちらかに振り切ったタイプの人もいる。

情報の受信者と発信者が、異なるタイプであっても、互いに、相手との思考方法の違いを意識していれば、理解できずとも情報が歪むことはない。
だが、思考方法の違いを無視して、受け取った情報を自分の思考方法に当てはめて解釈しようとすると、情報は歪んでしまう。

これは制作や開発の現場に限った話ではない。

SNS上でも、同様の状況に遭遇することがある。
情報の発信者と受信者の思考方法が違うために、相互理解が進まないのだ。

感情を乗せていない単なる事実に対し、感情を乗せて関連情報を追加して的を広げて受け止める。
その逆もある。発信者が、イメージで包み込んで発した言葉を、受信者が論理のみで解釈しようとして躓く。

どちらかが正しく、どちらかが間違っているわけではない。思考方法の違いにすぎない。だが、「違いにすぎない」ことだったはずが、やりとりするうちに、ズレは拡大していく。

得意な思考方法を手放すべきだ、相手の思考方法に合わせるべきだ、などと主張するつもりはない。それ以前に、言語だけが、思考のツールではない。

ただ、自分と異なる思考方法があるということを知っておくこと、それを心に留めて情報に接することは必要かもしれない。
そうすれば、ディスコミュニケーションが発生したときに、深呼吸して、立ち止まることができるだろうから。

STEAM教育が叫ばれて久しい。
東京大学が、「College of Design(仮称)」の設置を打ち出しているという。
文系・理系・芸術系、それぞれの分野で専門性をを磨くことは、もちろん重要だ。が、しかし、それだけではなく、分野の壁を超える姿勢「も」必要であることを、打ち出す先駆けとなるだろうか。

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