昭和、平成、令和の3代にわたる、501を、はいてみた。~ファッション考(2)~
歌ってみた、ならぬ、はいてみた。
昭和の時代にはいていた Levi's 501を、4月30日の夜から5月1日まではいて、「昭和、平成、令和の3代にわたって、同じ1本を、はいた!」と、501愛を確認する、という作業。
昭和62年に、いきつけのジーンズショップで購入した、17501(レディースの501)、米国製。28インチ。
サンドブラストやストーンウォッシュが登場する前で、職人仕様のダメージデニムはなく、501といえば大半がリジッドだった。
職場ではいていたので、5日~6日(当時は各週休二日)はいては週末に洗濯。写真の色になるまで2年くらい。
自転車通勤だったので、巻き込まないように、裾上げしている。
17501は、マリリンモンローみたいなバイオリン体形のアメリカ女性でなければ、はきこなせない。
わたしみたいな、頭と目だけ大きいグレイ体形で、水炊きの煮えすぎたエノキタケに親近感をおぼえるタイプには、似合わない。写真は室内で撮ってもらったので、スニーカーではなく上履きだから、さらにバランスが悪くて、バギーみたいだ。
昭和は、ステレオタイプの性差ファッションしかなかった時代
メンズのローライズでワタリの細い501のほうが、わたしには合う。
しかしながら、当時は、「女性は、どんな体形であっても、女性用を着るべき」という、無言の圧力があった。
自分には合わないと分かっていても、レディースの17501を買うしかなかった。
カジュアルシーンでもユニセックスの服なんてなかったのだから、会社の制服にパンツルックなどあるはずもない。
わたしはたまたま裏方の技術職や技能職だったから501をはいて勤務できた。オフィスで働く女性たちは、薄手のブラウス(シャツではない)にセミタイトスカート、たおやかでフェミニンな制服を着ていた。ばっちり化粧をしてにストッキングに中ヒールが暗黙の了解。多くの職場では、女性たちのメインの仕事は「職場の花になること」だった。
男女雇用機会均等法の施行が昭和61年。そのころから変わり始めた気がする。
ショップで店員さんを説得することなくメンズの501を買えるようになったのは、平成になってからだ。
昭和は、ファッションに、明確な男女の区別があった時代だった。
平成は、消費者のライフスタイルがファッションに反映した時代
501は、モデルチェンジするたびに、徐々に、ふくらんだ形になりつつある。
昭和のものより、2013年度、それより2018年度のほうが、ゆったりしている。サイズ表を見ても、微妙に大きくなっているみたいだ。
わたしは座卓で仕事をしているので、エコノミークラス症候群を避けるため、28インチをはいている。ベルトレスでは腰パンになるオーバーサイズだ。これ以上501が大型化すると合わなくなるので、ユーズドは全部保管していている。ダメージの大半はメインのボタンホールのほつれだから、カットした裾を当て布にしてリペアすれば、まだまだはける。
ヒトが大型化しているだけではない。
先進国でのメタボリックシンドロームが後押ししているのではないか。飽食が止まない限り、この傾向は続くだろう。
そして、気やすさ、動きやすさ、手入れのしやすさ、三つのラクを優先して、合成繊維が増えていく。綿100%に見えて、数%はポリウレタンが入っていたりする。しんどいこと、手間がかかることの中にある、メリットは忘れ去られる。
平成は、消費者のライフスタイルが、シルエットや素材や生産国や価格に反映した時代だったとおもう。
令和は、水環境を考える時代(に、なればいいのに)
「ファッション考(1)フリースを封印した日」で書いたように、合成繊維(とくにフリース)は、洗濯時に、マイクロプラスティックを排出し、海洋汚染を引き起こすと言われている。
かといって、天然素材も環境破壊を引き起こす。綿花栽培には、農薬を使う。農家は健康を害し、土地はやせていく。
化学繊維でなければならない場合に限っては化学繊維を、天然繊維でよい場合はできるだけ天然繊維を選び、両者のバランスをとるしかない。
洗濯にも一考が必要だ。マイクロカプセル入りの洗剤や柔軟剤は、海洋汚染だけではなく、大気汚染も引き起こしかねない。食物連鎖に組み込まれ、大気中を浮遊し、使用者本人や次世代の健康にも影響を及ぼす可能性がある。
マイクロカプセルの物質が環境中に流れ出てしまってから後悔したのでは遅い。一消費者が回収できるレベルではなくなってしまう。
衣服はたいせつに扱い、できるだけ長く着る。それが、現時点では、環境保全につながる、マシな方法だ。
完全な方法、ではない。マシな、方法だ。
完全な方法でないなら、なにもしない。なにかするなら、最初から完全を目指す。そういう考え方もある。だが、一気に完全を目指す方法は、傾くとイデオロギーになり、押し付けるとプロパガンダになりかねない。ほどほど、そこそこに、目の前の、できることから、ひとつずつ。ひとりが気を付けたくらいで何も変わらないのでは......そう思って何も行動しないよりは、ひとりが、何かひとつでも、ライフスタイルの中の要素を見直した方が、環境負荷を減らすことができる。
俳優やタレントによるおシャレな宣伝。イメージと懐事情だけを考える購買行動は、平成の時代で終わりにしたほうがいいのではないか。
水資源の保全、そして大気汚染の阻止。製造時の負荷(児童労働、ブラック経営など)の抑制。収入や貯金に対する適切な支出。それらの問題を、ひとりひとりが考えて、見直していく時代になればいいな。
自分、他者、社会、自国、他国、地球環境。
利害の一致しないことが、ままある。
偏らずに、バランスをとっていくことが、重要だ。
令和は、環境保全の観点から、購買行動と衣類のメンテナンス方法を見直す時代になりますように。
これ以上、この国のきれいな水資源を、失わずに済みますように。