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ヴィジュアル、サウンド、テキスト、コードの間を彷徨いながら、感じたこと考えたことを綴ります。

女性は経済力を手放してはならない。

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年末なので、下書きに眠っていたテキストを、公開しています。

女性たちは、昔も今も、一生懸命働いている。
「働く女性が増えた」という言葉は、省略し過ぎである。
昔の女性も働いていた、男性以上に。ただ、その職場が、家の外ではなく、家の中だっただけで。

昭和も半ばまでは、教員や看護婦でもなければ、女性の求人そのものが少なかった。女性が家庭の外で働くとすれば、大黒柱(主に夫)の病気や死によって、労働力が失われた場合が多かった。

昭和の後半、私が働き始めたころは、高校か女子短大を卒業後、結婚するまで企業に正社員として勤務する、というのが、デフォルトの女性の生き方だった。女性は「職場の華、兼、お茶くみ」として就職し、オシャレをして常に微笑みをたやさず、男性陣のモチベーションを上げ、雑用は積極的に引き受けつつ、提案には消極的姿勢を保ち、上司から与えられる仕事を着実にこなし、職場の宴会では自ら酒を注いで回り、セクハラはさらりとかわして、20代のうちに結婚を決めて家庭におさまっていた。
多くの女性たちが、男性社会に合わせた生き方を選択していた。私のような、アウトサイダー(世渡り下手ともいう)を除いては。

その当時、生きていくには、それが、もっとも賢明な方法だったのだ。その昔、客先との折衝方法を考え込んでいた私の同僚に対して、年配の男性のつぶやいた言葉が、今も思い出される。「なぜ、女性であることを武器にしないのかねえ(せっかく女性に生まれたのだから、女性らしさを表に出せばうまくいくと思うけどねえ)」 その言葉を、同僚がどのように受け止めていたのかは知らない。

昭和を生きた女性たちには、結婚の相手やタイミングについて、決定権を持たなかった人も少なからずいる(見合い、即結婚)。家庭は職場であり(専業主婦)、退職(離婚)は、社会的にみっともないこととされていたので、結婚は「永久就職」と呼ばれた。休日はなく、時間外労働はあたりまえ、体調が悪くても休むことはできず、家族という会社の代表者(家長、多くは夫)の方針には異を唱えずに従う。身を粉にして働き、耐え忍んで家族に尽くして、自分の夢や希望は語らずに一生を終えるのが、理想的な女性であるとされた。

当時、インターネットや移動通信手段はもちろんなく、コンビニもスーパーも通販もなかった。昭和の前半までは、冷蔵庫、全自動洗濯機、電子レンジも普及していなかった。昔の専業主婦の仕事は、合理化の方法がない、一日を費やすものであった。

食品の冷蔵冷凍手段がなかったから、毎日徒歩で、籐の買い物かごを下げて買い物に行く必要がある。(だから、過包装はなく、エコではあった)。
洗濯機は二層式で全自動ではないから、ながら洗濯はできない。脱水するには、洗濯物を1枚ずつ歯車状の脱水機に挟み、手でハンドルを回して絞る。乾燥機など、もちろん、ない。赤ちゃんのおむつは、布製で、使い捨てではなく、手洗いである。
既製服は高価だったから、男性のスーツや学生服以外は、主婦が縫っていた(裕福な家庭は、デザインから縫製までを請け負う洋裁業者にオーダーしていた)。

外からの情報源は新聞とテレビとラジオ、隣家から回覧されてくる、わずかな自治会報だけであった(そのテレビも、普及したのは東京オリンピック以降だ)。
新聞は家長が見、テレビのチャンネル権も家長にあり、情報を得られない女性も少なからずいた。女性にもとめられていたものは器量と愛嬌と忍耐だった。知識も思考力も実行力も期待されていなかった、いやむしろ、男性の優位性を脅かす恐れのあるそれらを、女性が持ってはいけないような空気があったのである。
女性たちは、年金や保険などの公的制度や医療についての情報は、昼間の空き時間に、井戸端会議によって収集した。口伝えなので情報が欠落したり、誤った解釈が広まることも少なくなかった。(年金保険料を納めていない家庭があるのは無理もないのだ。情報を得る手段が限られていたのだから)

そういった環境にありながら、女性たちは、生命をつなぐことだけを希望として、生きてきたのだ。

現代の女性には、フルタイムで働きながら、家の中の作業の大半を担っている人も少なくない。
昭和の時代の女性と比べれば、買い物や家電が便利になったし、なによりインターネットで情報を得られるという大きな違いがある。
だが、逆に不便になったこともある。
子育てする女性を助けてくれる親族が近隣に住んでいるとは限らない。(昔は、祖父母が近隣に住んでいたし、そうでなくても、若い夫婦がお小遣い程度の価格で気軽に子守りを依頼できる高齢女性がたくさんいた)
高層マンションや交通量の増加、犯罪の増加により、こどもたちは常に危険にさらされている。一瞬たりとも子から目を離すことができない。(昭和の時代は、放置が可能だった。私は幼児の頃から一人暮らし歴が長いが、昔はそれで何の問題もなかったのだ)
昔なら「ねんねこ」で子を背負いゆったり歩き、赤ん坊が泣こうものなら、通りすがりの人たちがかわるがわる覗き込んであやしていたものが、今は、ベビーカーを押してバッグも持ってセカセカと電車に乗り、冷たい視線を浴びなければならない。(「ねんねこ」より、ベビーカーのほうが、おそらく体力を使うし、扱いにくい)。
マニュアル社会で、善悪が二分され、融通を利かせてもらえず、子のささいな失敗を大人たちが責める。これから育つ者に対して教えるというよりも、大人に対するのと同じように糾弾する。この社会では、最初から大人として生まれることを要求されているらしい。自分も子供の時は大いに失敗し、 失敗を重ねながら大人になったはずなのに、大人になると、すっかりそれを忘れてしまうようだ。自分も子供の時は大きな高い声で喋り、元気よく走っていたであろうに、こどもの声を嫌い、退ける。昔と違って、自由に駆け回れる場所が少ないのである。周りの大人たちが寛容でなければ、母たちにストレスを与えるだけではないか。

いま意気揚々と働き、家事や育児を両立させている女性たちも、身体は悲鳴を上げており、気力で、身体の状態に気付かないようにしているだけなのではないか。婦人科疾患(子宮筋腫、子宮内膜炎、卵巣嚢腫、乳がんなど)の増加が、それを物語っている。男性以上に働くことを可能にしている動物性寄りの食生活や、夏場の寒いまでのエアコン、交代勤務は、婦人科疾患の大敵である。

日本は、まだまだ男性社会だ。おそらく、団塊世代が表舞台から去り、家庭科男女別習世代の声が小さくなり始めたら、徐々に変わるだろう。
そのときまで、女性は経済力を手放さないほうがよい
いや、手放してはならない。
健康を害しては元も子もないから、害さない程度に、ギリギリまで、踏ん張って、経済力を失ってはならない。
子と過ごす時間はお金では代えられないものなので、出産育児の数年間を退職金や貯金で乗り切る女性もいるだろう。お金は働けば後で取り戻せるし 、キャリアも(業種にもよるが)追い付ける可能性はゼロではないが、子の成長を見られる時間は取り戻せないからである。
だが、子が幼稚園に入園したなら、必ずしも外で働く必要はないとしても、なにか有償の労働を再開した方がよいのではないか。配偶者が思いやりのある人で、家事に適性と能力がある女性は、専業主婦業を一生の仕事とすればよいと思う。だが、そうでない場合、専業主婦であり続ける生き方は、配偶者の思いやりが生涯変わらないのでない限り、リスクを伴う

なぜなら、経済力を手放した途端、社会の中で、家庭の中で、発言権の低下する可能性があるからだ。経済力がなければ、(男性に限らず)家族の誰かが基本的人権を侵害する言動をとったとしても、従わざるをえなくなってしまう。意見を主張できる状態を保つためには、貯金でも定期収入でもどちらでもよいから、自分の裁量で動かせる、まとまったお金(すくなくとも1年分の自分の生活費にあたる額)を持っておくべきである

なぜ、働く必要があるのか?百人百様の答えがあるだろう。
生活していくため、自己実現のため、など。そして、ほかに、もうひとつあるのだ。臆せず発言するため、である。

すくなくとも、あと10年間は、日本に生きる女性にとって、「経済力は発言力」だと思う。

......なぜ、こんなテキストを書いたかといえば、昭和の時代を若い人たちは知らないからです。年寄りの記憶の断片と戯言です。

 

 

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