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募金するということ。ユニセフと、総裁と。

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オルタナ・ブロガーの村上総裁の募金の呼びかけに応じることがある。
地方在住者にできることは限られており、かといって、後述のようにユニセフには若干の疑問を感じている。だから、都会に住む信用できる個人が、音頭をとって、動いてくれるのは、ありがたいことである。

私が被災地に対して、はじめてまとまった金額を募金したのは、20数年前である。

そのころは両親を扶養していて、フトコロは淋しかった。少しずつ貯めていたお小遣いが1万円以上になったころ、中東で洪水が起こった。新聞でその悲惨な記事を読み、海辺に住んでいる身には、水の怖さは他人事ではないので、ユニセフに寄付した。

すると、時折、思い出したように、ユニセフから、ダイレクトメールが届くようになった。
当時買った、マグカップは、今も愛用している。

10年ほど前、海外の災害の報道に心が痛み、ユニセフに寄付した。
そうしたら、今度は定期的にダイレクトメールが届き始めた。

これには、困ってしまった。
私は、ごく普通のサラリーマン生活を続けた後、看護離職したSOHOにすぎず、昨年まで扶養義務や芋づる式扶助義務のために拠出してきた身であって、食べるには困っていないが裕福ではない。世界中の苦難を訴えられても、子供たちの悲しい瞳に見つめられても、心を痛めることしかできない。

紙のダイレクトメールを送る費用は、何人分かのワクチンに充当するはずである。ずいぶん、もったいないことをするものだ。それに、なんだか、おそろしい。
停止させたいと思い、ダイレクトメールを穴のあくほど眺めてみたものの、方法は記載されておらず、その時点では、ユニセフのWebサイトに情報を探しても見つからなかった。電話するのもはばかられていたところ、パタと止んだ。

寄付は、深く考えすぎると、良心に縛られて、自分の成長や幸福を自ら諦めることになりかねない
だから、私は、自分なりの基準に従うことにしている。
それは、毎月のお小遣いの残金が1万円貯まったときに、事前に防ぎようのない天災が発生し、その地域に何らかの関わりがあり、被災者がその自分よりも恵まれていない生活を強いられている場合......というものだ。

人それぞれの基準があっていいと思う。

村上総裁の呼びかけた3つの募金のなかで、フィリピンとタイの災害は、上記の私の基準に合致した。

私は、家族のために、フィリピン産のバナナとパイナップルを買う。そして、私が、さいきんはいている 501 は、フィリピン製だ。

タイの製品は、(原料が何かに使われてるとは思うけど)直接は、買っていない。だが、こと洪水については、見過ごしてはいけないような気がした。

日本人は、冷凍ブラックタイガーや、タイのバナメイを大量に消費している。
日本の養殖技術導入で、タイの人々は利益を得たことであろう。

だが、日本人のエビ好きと食糧廃棄をスルーする姿勢が、養殖場をことさらに増やしてしまった可能性もあるのではないか?
もし、需要拡大 → 天然エビ激減 → 養殖技術導入 → マングローブ林半減 → 洪水の被害拡大......であるとしたら、日本人には責任の一端があるように思われる。

私は、上記の自然保護の観点から、冷凍ブラックタイガーや、タイのバナメイを一度も買ったことがなかった。 消費行動はタイの人々の即座の利益につながるが、その購買の積み重ねは、環境破壊という将来の大きな利益損失につながる行為なのではないか?地球をニンゲンの住みにくい惑星にしないためには、食べない側に立つ人間が何割かはいたほうがよいのではないか?と考えたからだ。
もっとも、さいきんでは、植林活動も始まり、養殖場が内陸部へ移動しているという情報をネットで見たので、 すこし安心して、ベトナムのエビの加工品を、時折買ってみたりする。

だからといって、逆に、消費を躊躇する人の割合が増えすぎるのも、これまた、よくないのである。
エビが好きでたまらない人は、美味しく食べて、満足感を得るのがよい。
菜食と肉食についてもそうだが、「どうして食べてはいけないのか」VS「絶対食べるべきでない」というオール・オア・ナッシングは、争いと憎しみしか生まない。地域特有の食文化の中で作られてきた味覚や体質があり、同じ地域で生まれ育った人にも個体差がある。体調もある。食は、百人百様だ。自分の考えに他者を従わせると、他者の健康を損なう恐れもある。
他者を支配することよりも、「他者を支配したいという自分の支配欲」を支配してねじ伏せる努力のほうが、必要である気がする。

それぞれの人が、ほどほど」を忘れず、他者の出方をうかがいながら、できるだけ社会全体としてのバランスが維持できるような行動を心がければよいのである
そして、強いて食べなくてもよい人が少し消費を控えれば、環境破壊の速度は少しゆっくりになり、時間かせぎの間に、環境保全のための新たな技術が開発されるだろう。

もし、レストランで、タイのエビやその加工品の料理を自ら注文しておきながら、箸を付けずに残したり、持ち帰らずに席を立った人が、募金したなら、それは善行ではなく、罪滅ぼしなのかもしれない。

......とまぁ、募金というのは、フトコロと相談するだけでなく、いろいろなことを考えなければならない、なかなか難しいものである。

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