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死ぬための椅子

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年末なので、下書きに眠っていたテキストを、公開しています。

30歳を過ぎたころ、「死ぬための椅子」を買った。
物騒な話、ではない。
死に場所というのは、非常に、重要な問題なのだ。

昔、母から聞いた話である。 私の母方の曾祖母は、90歳を超えて元気であった。食欲があり、多少の菜園の手入れもしていた。写真をとることになったとき、皺だらけの顔にカミソリをあてて手入れをしたそうだ。大昔のモノクロ写真なので、結果は変わらないのだが。
長男と一緒に住んでおり、死の前夜に、カレーをおかわりして食べたという。
死の当日、いつもと変わらぬ様子であったので、長男が数時間外出し、帰宅したところ、曾祖母はロッキングチェアーに座って揺れていた。
眠るようにして亡くなっていたのだ。
老衰であると、現実と夢がうつつのまま、夢の方へと引きずられるものであるらしい。
病院へスパゲッティ状態になったり、病気や怪我で痛い思いをして死ぬのは、誰しも、できるだけ避けたいところだろう。
頭が働き、足腰はしっかりしたまま、老衰。それがベストではないか。

そこで、どういう死に方、どういう死に場所が、自分にとって望ましいか?を考えた。
曾祖母の、お気に入りの椅子に座ったまま眠るように、というのは理想的であると思った。

私は、本が好きであるから、椅子に座って、お気に入りの詩集を読みながら、そのまま眠ってしまったら、それは、なかなかよろしい。
そのときには、印刷物の本はなくなっているだろうし、「読む」という行為自体もなくなっているだろうけど、私は紙の本を片手に椅子に座っていたいと思う。

......というわけで、平均寿命まで50年以上あったにもかかわらず、死ぬための椅子を買った。

フトコロは淋しかったが、60年は使い続けられる品質のよい椅子でなければならないし、飾りではなく、日常生活の中で使えるものでなければならない。
なかなか気に入るものがなく、時折探して数年、百貨店の通販カタログの中に、なかなかよい椅子を見つけた。
当時の価格で4~5万円だったと思う。私にとっては、高価な買い物であった。
しっかり組んだ木にモスグリーンの座面なので、おそらくは豊橋木工の製品だと思うのだが、見た目も背もたれの角度も完璧であって、非常に座り心地がよい。
 私はこれまで、多くの時間をその椅子に座って過ごし、本を書き、詩を書き、曲を書いてきた。

死ぬための椅子を持つということは、なかなか、よいものである。

いずれ、その椅子で、詩を読みながら、という結末になればいいなと思っているし、そういう平穏な生活を維持できるように努力したい。また、そういう静かな結末を迎えられるような世界であれと願う。

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