南海地震に備える(3)
たとえそれがささいな、かすかな情報であったとしても、地震の前兆かもしれないという感覚をとらえることができるならば、いざというときパニックにならず、的確な行動をとることができる可能性が高まる。
普段の生活の中で、眠気、頭痛、耳鳴り、夢、雲、空の色、動物の異常行動、などの宏観異常現象に注意を払い、それらの情報を身近な人たちと共有することが必要ではなかろうか。
眠気
この記事のテキストファイルは、2週間ほど前から、私のPCのデスクトップにあった。ブログで公開しようと思いつつ、連日の眠気に勝てず、公開作業をできなかったのだ。
とりわけ10日~15日までは、とにかく眠い!この一言に尽きる日々だった。
私は通常、家事を済ませて入浴した後、夜半までPCに向かうのだけれど、シャワーを浴びながら既に意識がない状態であって、PCの前に長居もできず、そのままバタン。(おかげで大切な友人の誕生日祝いメッセージをFacebookに投稿し忘れるといあってはならないミステイク。)
その眠さは、抗いようのないものであった。
(抗いようがないという点において、この眠気は、ナルコや鬱やPMS過眠などに何か共通する機序があるかもしれない)。
かといって、その数日間だけ特別睡眠時間が不足している、あるいは、万年睡眠不足の疲労の蓄積がピークだった、というわけではない。
疲労が原因の眠気とは大いに異なる感があるのだ。
それは、眠気の向こうに「地面の下で変化が起きている感」を伴うということである。
その前に、同様の眠気があったのはいつかといえば、記憶の範囲では、2012年の12月前半である。証明写真を撮る必要があり、眠くてたまらない状態がなんとか改善した頃に出かけたものだから、目が半ば閉じた写真になってしまい、とても悲しかったので覚えているのだ。
bing ってみたら、地震の前に、眠気、頭痛、めまいなど、身体が不調になる人は、少なからずいるようだ。
人体も自然の一部なのだから、不思議でも何でもない。
地球の状態が変われば、それに気付く人もいるということでしかない。晴天の日、天気予報は見ずに、なんとなく雨になりそうな気がして傘を持 って出かけたらにわか雨が、ああ傘持ってきてよかった、というのと何ら変わらない。
「何が変わったのか」意識にのぼっていない状態であっても、身体は変化をとらえているのだ。
頭痛
3.11のときは眠気というよりも、頭痛だった。
私は子供のころからの頭痛餅だが、それは、普段のものとは性質が異なっていた。
PCに向かいすぎたことによる緊張性頭痛でもなく(これはIT関係では当たり前か)、偏頭痛でもなく(私は偏頭痛は稀にしか起こらない)、 長年苦しめられてきたものの、ここ1年は起こっていない群発頭痛でもない(正式に診断されていないので、私のは「群発様頭痛」と呼ぶべきだが、症状は「頭痛 大学」の絵そのもの、ちなみに「vs 群発頭痛」サイトに出没していたことがある。鼻炎スプレー派だ)風邪の頭痛とは明らかに異なり、過労による重だるくどんよりとした頭痛とも異なる。
身体全体とくに頭が大気に圧迫されて、地面に押し付けられて、起き上がろうとしても起き上がれない、地球に縛り付けられたかのような、頭痛。
強いていえば、10年ほど前、腹の中の良性腫瘍のために排尿困難になり、掃除機を1㎡かけるのも辛かった時期があったが、その頃の「重い感」 と似ていた。
重力に抗えない感、を伴う頭痛、とでもいおうか。
それまで経験したどのタイプとも異なる頭痛が、2011年3月11日に、初めて起きた。
結局、3月11日は頭痛で寝込んでいて、大震災発生の報を聞いても、身体を起こすことも辛い状態だった。
では、(南海地震への備えとして)もし今度、同様の眠気あるいは頭痛が起こった場合は、事前に安全な場所に移動しておくことができるのかと いえば、それは不可能である。あれほどの眠気や頭痛では到底敏捷に動くことなどできない。ぼーっとしたまま屋根の下敷き、になりかねない。(どうすれば いいのだろう......)
耳鳴り
しかしながら、2011年よりも前に、大きな地震はいくつもあったわけで、なぜそのときには、頭痛や眠気を感じていない(記憶していない)のか。
私が考える原因は、2010年の暮れの、突発性難聴である(......と、診断されたが、その後何度か繰り返しているので、低音障害型感音性難聴かもしれない)。2011年 の1月を私は絶対安静を言い渡されて過ごし、その後少しずつ聴力は改善したものの、耳鳴りが残り、聴力は体調に大きく左右されるようになってしまった。
突発性難聴になるまで、私は、地震前の異常は耳で感知できる、と思っていた。
それが、四六時中の耳鳴りのために、不可能になった。
私の意識は、耳ではなく頭や身体に向かい、頭痛や眠気がクローズアップされることになったのではないか。
(プロアマ問わず楽器を演奏する人は誰でもそうだと思うが)、私はもともと聴力が非常に良い。
幼児期の聴力検査では医師が驚いて検査室に飛び込んできたし、学生時代のストップウォッチを使った検査では、インチキを疑われたことがある ほど、小さい音も拾うことができた。7~8年前、手術前のMRI 造影をしたときは、消音ヘッドフォンなど何の役にも立たず、あのひたすら「シ」と「ラ」が繰り返す音が辛すぎた。
そういう耳だから、私は、子供のころから、地震と耳鳴りに関連性を感じていた。
昔ながらの電灯は点けた時、蛍光管の中で、音がする。それと同じ音が頭の中で鳴るのだ。左右の耳に蛍光管が通っているかのように、音が流れるのである。全く意識しない日の方が多いが、大きく鳴るときもあれば小さい時もある。
鳴り続ける日が続いた後、一瞬、音の止む時がある。それは「前面道路の住宅で車が走らなくなった時間帯」のような無音とは異なる。嵐の前の静けさ、に近い。
ありとあらゆる音、すべての音が、途切れて、大気の中に沈み込むような感じである。その状態は、10分以上続く。
ときどきメモしては新聞の紙面に地震のニュースを見るということをしていたが、その感覚が顕著になったとき、できるだけ毎日記録を付けてみた。耳鳴りの度合いを20段階で評価して、それをグラフにしてみた。 当時は、Excelがなかったので、( MS-DOS 版の LOTUS 1-2-3 の時代で、それも個人が購入できる金額ではなかった)方眼紙に鉛筆で書き込む作 業である。グラフが大きく上昇した後に起こったのは、伊東沖海底噴火だった(画像は、当時の記録の一部。方眼紙を貼り合わせたセロハンテープの跡が変色していて汚くてごめんなさい)。
地震の前に耳鳴りがする人も、bing ればわかるが、これまた多い。
今の私は四六時中耳鳴りなのでどうにもならないが、耳鳴りで察知しようとしている人は、私がグラフ化した方法を試してみてはいかがだろうか。
つまり、毎日の耳鳴りの状態を、単独で評価したり、連続するものとして評価するのではなく、加算減算して評価するのである。
耳鳴りが感じられたらそれを、20段階で評価する。そして、加算してグラフ化していく。昨日より小さく感じられたら減算する。
そうして、グラフが大きく変化した時、地震の発生する可能性が高まる。
頭痛だ眠気だ耳鳴りだのが、地震と結びつくはずがない、という意見もあることは知っている。
だが、ヒトの感覚は、幅広い。
コンタクトの人もいれば、3.0を見渡せる人だっている。
工場で、常人には信じがたい、微細な加工をできる繊細な指の感覚を持つ人もいる。神の手を持つ外科医もいる。食品会社には、微細な香りの違 いをかぎ分ける社員もいる。
アスリートも、そうでない人とは違う感覚を持っている。昔の職場の同僚にハンドボールで国体何位かの成績を収めた人がいたが、シュートのた めにジャンプした瞬間は周りの動きが止まったかのように見えて、冷静にシュートコースを判断している自分がいるのだそうだ。私はそんな感覚 を持ったことはないが、だからといって、私以外の誰かがそういった感覚を持ったという体験を否定しない。その同僚は間違いなく、私にはつい ぞ経験することのない感覚を持ったことがあるに違いない。
だから、すこし感度のよい耳や臓器を持つ人のそれが、地球上の変化に反応したからといって、別段不思議なことではないだろう。
音楽に親しむ人なら誰でも、地球の微細な変化を耳でとらえることができるのではないか。
我々は、この自然の中の一部にすぎないのだから。
夢
意識にのぼっていない状態で感覚が変化を察知した時、ヒトは、理屈でツジツマが合うように、持っている知識で理解できるように、どうにか こうにか情報をつなぎ合わせて、イメージを構築してしまうのではないかと思う。
阪神淡路大震災の前、1週間ほど、私は、とても夢見が悪かった。
夢の中で、私は勤務先から家路へと急いでいるが、途中にある川が渡れない。その川は、毎日通勤時に渡っている、見慣れたものだ。
橋が架かっているのに、なぜ渡れないのかは分からない。仕方なく通勤鞄を抱えたまま、河川敷に降りて、石の上を歩く。
渡った先に体育館がある。そこには多数の人が毛布を敷いた上に寝転んでいる。私もその中に加わって座る。
その床は、川の冷水が下から滲んでくるかのように、冷たく寒い。
目が覚める。ああいやな夢を見てしまった。ふらふらしながらコーヒーを飲み、MTBで会社へと向かう。夢で見た川の上の橋を渡る。なにごとも ない。
私の身体は地球の変化をとらえ、もともと地震と身体感覚について意識しているものだから、感覚の変化は地震と関連付けられる。
地震といえば災害であり、災害といえば、TVニュースでしばしば見る避難所の光景である。
私の住む地域であれば避難所はその体育館である。
だから、感覚の変化をもとに、そういった夢が構築されたのではなかろうか。
もし、なにか普段と異なる夢を見たら、一呼吸置いて、その背景を考えてみたほうがよいと思う。その背景は、不思議でも何でもなかったりする。
夢を侮らない方がよい。(ビジネス上のアイデアも、夢から生まれることがあるのだから)
雲
阪神淡路大震災の前日(だったと思う、記憶が定かでない)、私は、通勤時(午前8時過ぎ)に、あの竜巻状の雲を、見た。南北に流れる川のうえに、東西にかかる橋の自転車道から、勤務先がある西へとMTBを走らせていたとき、それは西南西の空にあった。
じつに不思議な光景だった。晴天であり、空には、その雲以外、何もなかった。雲は、縦にたなびいているようには見えず、(後で思えば震源方向に)ぐにゃりと撓んで無理やり引っ張られていた。
長年、自転車通勤だったので、毎日、通勤時と退社時には、必ず空を眺めていた。
地震雲?と、一瞬疑う雲を目撃することはしばしばある。だが、多くは違う。
学者たちは、分析をして、いろいろな判断をする。意見は、分かれる。
だが、私が思うに、判断方法はおそらくひとつ、最初に雲を見た時、「原始心性を揺さぶられるような、恐怖感を持つかどうか」
私は、後にも先にも、あれほど異様な雲は見たことがない。
あの雲は、恐ろしかった。
それは、雲というより、生命を持ったもののようで、生々しかったのだ。
卵を割ると、ごく稀に、つなぎ目(カラザ)に血が混じっているものがある。
その少し血の滲んだ鶏卵のカラザを巨大化して、片方を地面に固定し、もう一方を、震源方向に引っ張って伸ばし、強く引っ張ったために、螺旋状になったような感じ。まるで、ヒトの生命を軽視するかのように、DNAを空に描き出した絵画のようだった。
当日、私の家では震度4ほどの揺れだった。親と押入れに逃げ込んだが、とりたてて被害はなかった。
勤務先へ急ぎ、タイムカードを押して常駐先に向かうと(当時私は取引先のCAD/CAM/DBベンダーの専属デザイナーだった)、営業部の社員たちが血相を変えて、全国のユーザー企業の安否確認に追われていた。淡路島には大口ユーザーがいた。社員たちそれぞれが、顧客に対してできることを探していた。
空
記録しているわけではなから、関連性を100%確信することはできないが、地震前には空にも変化が現れるように思われる。
夜中に仕事をしていることが多いので、午前3時、4時に、階下へ紅茶用の湯を沸かしに降りる。そのとき、キッチンの窓ガラスの外が昼間のよう に異様に明るく、映る空の色が赤みを帯びた白に輝いて見えることがある。
そういった状態の空が見られると、半日~1日後に地震の起こることが多いようである。
小動物
ペットの変化をとらえることは、一度もできていない。
私は以前ハムスターを飼っていたが、仕事中に見ていることはできないから、何か感知していたのかどうかは分からない。
鳥なら鳴いて知らせることができそうだが、家族が飼っているインコはといえば、「南海地震?1階潰れても、いいよPCデスクの下に潜るからオ レ安心」という飼い主に似たのであろう呑気であって、この地域で有感地震が発生した後で、驚いてピィピィ叫び続けるだけである。揺った後で怖がられて も......。 ちなみに、この飼い主、仏教系大学出身であるにもかかわらず、何も感じないらしい。もっとも、私の遠縁には、伊勢湾台風の時、寝ている畳が浮き上がってきて初めて浸水に気付いたというツワモノがいる。小動物の行動変化を見るなら、センサーを付けて音で出力するか、スマホあるいはデスクトップ上の片隅に表示させる以外になさそうだ。
いくつもの巨大地震が懸念されるなか、だからといって、研究機関から確定的な地震予知情報が発表されるわけではない。
自分の身は自分で守るしかない(というわけで、この「南海地震に備える」シリーズは、まだ続く)。個人で変化をとらえ、常に危機意識を持ち続けておけば、(その結果をTwitterなどで公に流布することは問題を引き起こす可能性があるから慎重でなければならないが)それは、イザというときに役に立つはずだ。
冷静で的確な行動をとるには、自分の身体に起こる変化を、「気のせい」で済ませない方がよい。
また、自分が何も感じなくても、信頼できる家族や友人が何かをとらえている時は、その感覚を、否定しない方がよいかもしれない。悪い結果をまねいた場合、否定した人は責任をとることができないからである。
もし、小さな子供が、大人からの入れ知恵やTVからの情報ではなく、自分の直感のみに基づいて怯え、恐れ、自らが取るべき行動を判断して、訴えているなら、それはきっと確かだろうと、私は思う。
大人たちは、(一般的に)小さな子供と比べれば知識を持ちすぎていて、多くの情報を同じテーブルに乗せて考えすぎる。だが、生きるか死ぬかの状況では、知識や経験はできるだけ省き、頭で考えず、身体の中の自発的な声に従ったほうが、良い結果になるとは限らないが、すくな くとも最悪の事態は避けられるように思う。もっとも、かくいう私も年をとるにつれ、検討すべきではない情報をオミットすることが難しくなってきているのだけれど(大人になるということは、だめ人間になるということなのか)。
言語による思考、論理的思考は、例外的な状況下では、判断を誤らせる可能性がある。
言葉では完全に伝えることのできない感覚的な情報に、素直に、耳を傾けたいものである。
減災は、身近な他者との関係から。
私は平成元年にMTBを買い、自転車ツーキニストになった(1/3は環境問題、1/3は職務上の合理的な理由)。家では、防災用品を詰めたリュックを枕元に置いていた。自室の本はカラーボックスを横置きして収納し、寝室には何も置かなかった。親からは、きちんとした書棚を買いなさい来客に対して恥ずかしい、としつこく言われたがスルーした。阪神淡路大震災はその7年後なのだから、私の取っていた行動は、地震大国日本では嗤われるようなことではなく、ごく当たり前のことだと思う。だが、当たり前の行動は、この国の大人たちの常識にはそぐわないらしい。こどものころから長年、とりわけ環境問題絡みで「将来のために今こうしておいたほうがいいよね」的な訴えを大人たちに軽んじられる経験を繰り返した結果、何か言おう書こうとする度に、私の心のストップボタンは自動的に押されるようになってしまった。
空気を読んで行動することをよしとする我が国では、個人単位では、なにかしら感じたり、意見を持っていたり、よいアイデアを温めていたりするにもかかわらず、こんなことを言ったらどう思われるか?と考えてしまい、言葉に出せなかったり、自分の考えを押し殺して相手に同調したり、大多数に歩調を合わせたりしがちになる。マジョリティのなかに身を置いて空気を読んで働いている立場の人たちなら、なおさらである。そして、個人単位の情報は点と点のままでつながらない。
無言は、減災を遠ざける。
大地震の前、その地域の住民の中には、なにかしら普段とは異なる感覚を持ち、そして、地震が発生するにいたって、「やはり、そうだったか」と確信する人は多いはずだ。むしろ、何か感じる人の方が、感じない人よりも多いのではないか、とさえ私は思う。だが、その感覚を家庭や学校や職場で共有して、事前の備えや的確な行動につなげることができるかといえば、難しいのではないか。ほかならぬ、自分自身が、自分に対して同調圧力をかけてしまう。
だから、こんなブログを書いてみた。
何か感じても、何も起こらないことだってあるだろうし、大きな災害にもかかわらず何も感じなかったということだってあるだろう。だが、外れたときは、ああ何事もなくてよかったね、と笑い合える環境をヨシとする一人でありたい。それで糊している研究者ではないのだから、もっと、気軽でいいのではないか。身近な人たちと、感じた情報を率直に交換し合い、共有し、万が一のときは行動につなげられる、そういうフランクな関係を築くことが、減災への第一歩だと思うのだ。