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南海地震に備える(2)

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昨年秋から進めていた事務所兼住居1階部分の片付けが、ほぼ完了した。
これからリフォームと耐震化工事を順次実施し、併行して、家具の固定、窓へのフィルム貼りなどを進めていく。

身近に高齢者がおり、家具の転倒防止策について話し合っていると、「もう年だから、どうでもいいので、放って逃げていいから」と言う。いや、それは、できない。

昔見た映画で、たしか「ボルケーノ」というのがあった。
離れて住む高齢の親を案じた夫婦が逃げるように言うが、親は動かない。助けに行った夫婦とその子らを溶岩流がさえぎる。高齢の親は彼らを助けるために命を落とす。
小さな孫が、その最期を見届けるなど、非常に不憫である。PTSDになるのは間違いない。
高齢になると、故郷に骨を埋めたいのはもっともだし、動く気力も失せる。が、助けられなかった者たちは後悔の念を一生引きずるだろう。
子や孫のことを大切に思うなら、生き抜く覚悟がもとめられる。 辛いことだけれど。

また、それぞれが、非常用品を揃えなければならない。
私は、ミネラルウォーターをもう少し用意しなければならない。消費期限が切れた。三日分では、こころもとない。

飲み水は最重要である。

なにしろ、いや~んな思い出があるのだ。
子供のころの話である。
昭和半ば、上水道が敷設されるまでは、地下水であった。海辺だったので、夏場になると、水に塩分が含まれる。飲用には適さない。ミネラルウォーターなどない時代だから、同じ地下水でも塩分が混ざっていない場所にある銭湯や店に、大きなヤカンを抱えて、もらい水。

そんなある日、小学校で、一泊二日の行事が行われた。 学校の水も飲めないにもかかわらず、である。
各自飲み水を持参することになった。

真夏。学校にはエアコンなどない。
小さな水筒1個では足りるはずもないので、私は、親が勤務先で使っていた大きな水筒も借りた。
一方、友人たちは皆、普通サイズの水筒を1個、持ってきていた。

一日目、私は小さい水筒の水だけでしのぎ、翌日に備えた。
二日目の昼食の時、私の大きな水筒を見て、皆が、水を分けてほしいと言う。 友人たちは、持参した水を一日で飲みつくしてしまっていたのだ。
それは教師も同じだったようだ。 私が友人たちに水を分けようとしたとき、「先生にも分けて」と言うやいなや自分のコップに注ぎ、生徒たちにも分けた。 私はわずかな水で喉の渇きに耐えた。

教師は、私に対して、困っている人たちに分け与えることが重要だと言ったが、他の生徒たちに対して、非常時の備えの重要性を説くことはしなかった。
そういう指導を受けた子供たちは、長じてどういう倫理観を持つようになるだろうか。
備えている人がいるはずだから、自分は用意をしておかなくても、きっと大丈夫?

災害が局地的なら、分け合って、なんとかなるかもしれない。
だが、大規模災害では、救援物資が届くまで持つはずもない。

私は学んだ。
自分の分を備えただけでは、安心できないのだということを。
だから、ここ1~2年で周りの家々が軒並み給湯器のないタイプのガス風呂に変えるなか、私は、フクシマに思いを馳せて電気の使用に悩みつつも、頑なに電気温水器を維持している。 (もっとも、倒壊したり、パイプが破損したなら、水を取り出すことはできなくなるのだが)

いつ地震が起こるかピンポイントで日時を特定できなくても、起こることは間違いないのである。
非常用品は一人分でも結構な金額だから、低所得の家庭には自治体が援助すべきだ。
だが、なんとか購入できるだけの収入があるなら、自分一人分プラスアルファを備えておくべきではなかろうか。 備えていたところで持ち出せない可能性もあり、その場合は、互いに、持ち出せた分だけ、融通し合わなければならないのだから。

すべての人に、自力で生き抜くための覚悟が、もとめられている。

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