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孫社長のYouTube動画を見て、自分の意見をきちんと言う大切さに気付く。

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<孫正義>原発問題について熱く語る

を、いましがた繰り返し見て、怖がりで臆病な自分自身をとても情けないと思った。気持ちを強くもって、きちんと、消極的反対(即刻全機廃炉ではなく、短期間に段階的停止)を発言していこうと思った。
これまでも、自分の意見を発信していくべきだったのだと思う。後の祭りだけど...。

原発問題は、なかなか話題にしにくい面がある。私と同じように、反対なのだけれど、反対と言えなかった、という人も、少なからずいるのではないだろうか。

私が原発問題を知ったのは30年ほど前だ。
そのころは、私より電気を使って贅沢をしている学生たちが運動をしているのを、なんだかなあと思って横目で見ていて、運動には参加しなかった。

20数年前、原発は地震津波に耐えられず海水温上昇の原因にもなることを知って、それからはごく小さな声で反対していたけれど、デモなどには参加したことがなかった。
特定の思想からの反対ではなく、地球環境視点からの反対だったからだ。

それからしばらくして、元原発設計技師の書いた「ぼくが原発に反対する理由」(1989年刊)という本を読んだ。
にわかには信じられなかった。
なぜなら、私が知っている「エンジニアリング」とは、ひどくかけ離れたことが書かれていたからだ。
だが、その本に書かれているようなことが本当なら、と思うと、愕然とした。天災に対する強度上の問題だけではなく、人災も起こりうる。危険性が一層増す。

震災以降、ブログは書いているし、仕事もしているけれど、じつはかなり落ち込んでいる。
TVの映像を見て鬱になる人がいるそうだが、それとは違う。
後悔の念だ。
原発立地県にもかかわらず、危険性を口にするたび、何十年も神経質だ杞憂だそんなこと起こるわけないと言われ続けてきた。
政治問題としか受け止められない見えない空気も漂っていた。書こうとすると怖くて手が止まった。民主主義の国で、それはおかしな話なのだけれど。
ただひとつだけ、投票では、常に意志表示をしてきた。景気対策や地域振興など他の公約には賛成できないものがあっても、人間の生命がなければ日本という国もこの地域も成立しないから。

私は、笑われても、信じてもらえなくても、書くべきだった。
もっと声高に、原発の危険性を叫ぶべきだった。
WebもブログもTwitterもあるのに。

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