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学生や社会人教育の中で見えてくる、ふと気になったことをつづっていきます。

常識が非常識にかわる瞬間を生きている

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昨日は「アンガーマネジメント入門講座」を開催しました。アンガーマネジメント入門講座では、受講者の方々から最近「怒った」ことについて、挙げていただいてシェアするワークがあります。

そこでシェアしていただいた内容で、

よくあるフードコートで、子供が土足で椅子の上に上がっているのを当たり前としている親に「怒り」を感じたというものがありました。

ほかの受講者の方々も、「うんうん」 とうなずき、「そういう親、ほんとに腹立ちますねー」という受け止め方でした。

これをあげてくださった男性はその「怒り」を奥様から、こうたしなめられたそうです。

そのうちね、土足で椅子上にあがるのをなんとも思わない人たちが増えてきて、うちの子たちみたいに、靴をぬいで上がっている子たちが「いまどき、靴脱いで椅子にあがっているわよー」と好奇な目でみられちゃうようになるわよ。  と

本当にそうなるかはわかりませんが、つまり常識も多数決の原理
多くの人が認知しているものが、常識です。

そうなってくるといつまでも古い常識に縛られている人が、非常識人になります。

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話は変わりますが、このオルタナティブブログで執筆されている田中淳子さんの

「檄を飛ばす」の本来の意味と異なる使われ方とか「了解いたしました」は失礼じゃないとか。ニホンゴ、ムズカシイ。

に引用があった「的を得た」って50年以上前から使われているけど、それでも誤用なの?専門家に聞く

の記事(専門家:飯間弘明さん「三省堂国語辞典」編集員)にあるように、

あることばを「誤用」と客観的に主張することは困難ですが、「べつに誤用でない」と主張するためには、その語が広く受け入れられており、また、一定の合理性があることが認められさえすれば、それで十分です。

誤用だった言葉の使い方も、時代を経て広く受け入れられれば変わってしまうのです。

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常識という社会的な価値観、知識、判断もある時点を境に少しずつ変わっていき、いつしか逆転がおこることさえあるということです。

時代の流れが速いといわれる現代に生きる私たちは、いくつもの常識が非常識にかわる瞬間を生きていることになるかもしれません。

*IT機器や使い方ではいままでもよく出会ったことですが・・・。

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