なぜ人は働くのか?
みなさん、ワールドカップ見ていますか?
私も普段Jリーグなどは全然見ていないのですが、ワールドカップとオリンピックの時だけサッカーファンになる典型的なニワカヤロウでございます。
明日のポーランド戦は是非勝ってもらって、グループ1位で決勝トーナメントに進んでもらいたいですね!
と、こういうこと書くと記事の賞味期限が短くなるので辞めた方がいいと、以前アルファブロガー(死語)の人に教えてもらったことがあります。しかし書く。特に意図はないが書いてしまう。
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それはそうとしまして、来月、高校生向けのイベント「近未来ハイスクール」で登壇することになっていまして、当日どんな質問が来るだろうかとあれこれシミュレーションをしています。
ちなみにこの「近未来ハイスクール」というのは、私のようなちょっと変わった生き方を選んだおじさんおばさんを悩み多き高校生の前に連れ出し「かくてもあられけるよ」ということで、"みんなの未来は無限に広がっているよ、大丈夫だよ思い切り踏み出して行きな!"というのを伝えるようなそんな趣旨のようです。
そこで「御社はどんなことをする会社なのですか?」とか「そんな仕事のどんなところが面白いんですか?」とか「事業ドメイン変えた方がいいんじゃないですか?」など具体的なことを聞かれればなんとか答えられそうではありますが、もっと抽象的な質問が来たりすると怖いですね。
たとえばこれを読んでいるビジネスマンのみなさん。高校生から
「なぜ人は働くのですか?」
という質問が来たらなんと答えますでしょうか?
今、日本は基本的には裕福であり、牛丼は300円で食べられ、サイゼのランチは500円だし、デートに車は必須じゃないし、家でカラオケできるし、生活保護制度もあり、ベーシックインカムの議論がされるくらいで、東南アジアやアフリカ諸国に見られるような本当の貧困層というのはレアです。
最近では、70歳定年説みたいな話も出ていますから(これは好景気による人手不足という明るい理由の陰に隠れて、単に年金の支給開始時期を遅らせたいという政府の思惑があったりしますが)、とりあえず親と同居していれば生きて行くには困らなそうな若者が大勢います。
■人はなぜ働くのか?
そんな中で、なぜ人は働くのでしょうか?
それは難しい問題ですが、私もビジネスマンのはしくれであり、その中でも会社の経営をやっている身なので、ここで「別に今の時代は、働かなくてもいいんだよー」と言う気はありません。
短期的に休息期間であったりモラトリアム状態であったりすることはあったとしても、やはり最終的には人は働かなくてはならないと思っています。
ベーシックインカム制度で一人頭月15万円ずつ配付されても、さらに収入を増やすべく仕事をしなければならないと、そう思いますね。
それはなぜか。
人は働くことによって、他では替えがたい幸福感を得ることができるからです。
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先日、たまたまNHKスペシャルの人類誕生というのを見たら、最近の面白い学説が紹介されていました。
現在世界中に広く生息している人類というのは、20万年前頃に出現したホモサピエンスの系統と言われています。
ホモサピエンスはその誕生から4万年前くらいまで、先に出現していたネアンデルタール人と共存していましたが、体の大きなネアンデルタール人に比べ、小柄であるホモサピエンスの方が群れを大きくする性質を持っていたために、道具やノウハウの継承に有利で、やがて生存競争に勝ち残ったと考えられているようです。
つまり、現在生き残っている我々ホモサピエンス系の人類は、生来的に群れで活動する遺伝子が受け継がれていて、群れに対して貢献することに喜びを感じ、逆に群れから外れることを恐怖に感じるようにプログラムされている生き物と考えられます。
ですので、たとえば親が金持ちで働かなくてもよい状況下であっても、株や競馬の必勝プログラムを開発して毎月きちんと生活出来るだけお金を稼げていても、それだけではなにか精神的に満たされないものを感じるはずです。
どんな人でも
「群れのために役立つ仕事をして、存在価値を認めてもらいたい。」
そんな欲求を生物的に兼ね備えている気がします。
若いうちはいろいろ興味が発散していて(それによって人は様々な能力を身につけますので気が多いことは重要なこと)、その根源的な欲求が隠れてしまっていることもありますが、30代、40代とだんだん年を取ってくるに従いじわじわと現れてくるものです。
もし仮に、20代という時期をなんとなく過ごし、30代で「人の役に立ちたい」と思ったらどうでしょうか?
その方向転換はなかなか難しいです。
まず人の役に立ちたいという気持ちを持ち、そのためのアクションを重ねていく
それがとても大事だと思います。
■人の役に立つということはボランティアでいいのか?
ここで「じゃあボランティア活動でいいですよね」というのがあります。
もちろん、最初はボランティア活動でもいいでしょう。
ボランティアというのは基本的には拒否されませんので、動き始めるのにとてもいいです。
もし今すぐにでも何か役に立ちたいと思ったら、どんどんボランティアに参加したらいいと思います。
しかし、これは私の持論ですが、その上でさらに本当に人の役に立ちたいと思ったら、「是非お金を払いたい」と言ってもらえるほど頑張らなければいけないと思うのです。
自分がやりたいときだけ、自分の能力でできる範囲でだけやるというのでは、やってもらう側としては非常に不安定で、将来的になかなか当てにしにくいものがありますね。
「5千円払うからまた来て」
そう言われるくらい、本気で役に立つ能力を身につけ、かつ体制を整えておこうとすると、それは必然的に「ボランティア」ではなく「仕事」になってくるのです。
5千円お金をもらったら、今度はさらなる期待に答えられるように必死で努力すると思います。
仕事をしてもらう側も、「やっぱりあなたはすごい。もうあなたにやってもらわないとダメだ!」となり、「もう他の人には頼めないから1万円で継続的に来て」となってきます。
そうなるとしめたものですね。群れの中で、完全に価値ある状態になっているわけです。
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ちなみになんですが、お金は汚いものではありません。
お金は感謝の度合いを定量化したものです。
あなたから何かをしてもらった人はお金を渡すことで感謝の意を表します。もらったあなたも誰かから何かをしてもらったとき、あるいは素敵な物を手に入れたとき、感謝の意を込めてお金を支払います。
要は、お金とは感謝の輪を作業や物と逆に回る、無くてはならない反対潮流です。
作業はするけどお金はもらわないという主義は一見カッコイイのですが、その輪に淀みを作るので、輪の中にいるメンバーとしてはちょっと迷惑な存在になります。大規模災害の後などで一時的にお金をちゃんともらう人ともらわない人が混在している輪が生まれますが、それがどのようなカオス状態になるか、実際に体験しなくてもなんとなく想像できると思います。
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話がずれましたので元に戻しますと、人は他人から「ぜひまたあなたにお願いしたい」「あなたじゃなきゃダメなんだ」と言われたとき、何にも代えられない幸福な感情に満たされます。
私も大学を卒業して資格試験に失敗し、就職浪人状態にあった1年半くらいは本当に辛かったです。社会でまったく役に立ってない状態でしたからね。
心底「タダでもいいから働きたい!仕事くれ」と思ってました。もちろんタダでは生きていけないのですが、それくらい人は「役に立っている状態」を渇望するものです。
逆に言うと、単にお金を稼げる仕事をしていても、役立ってる感のない仕事では人間の根源的な幸福感は得られませんよ、という話も付け加えておきます。
ということで、、、ニッポンガンバレ!昌子源、応援してるよ!
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