技術の前に磨くべきものがあるだろう
技術というものについて。
開発会社の経営者は、技術をないがしろにしている
という事実は多くの技術者の方がよく知っていることで、ツバを吐きたくなる話だと思いますが、私もどちらかというそっち側の人間かも知れません。
「社長なんて技術のこと何も分ってないんだぜ」
そうですね。おしゃーる通りかもしれません。
たぶん技術が大好きな人の言っている世界観での技術のことは私は何も分ってないかも知れません。
でもビジネスにおいて、技術とは何なのかということ---たとえばそれがWordPressのプラグイン開発だろうと、ソシャゲの開発だろうと、エクセルのVBAだろうと金融システムの開発だろうと、それが本質的な意味においてビジネス上どういう位置づけにあるのかはたぶん分っています。
その上で「社長なんてなんちゃら、と言ってる君たち。技術より先に磨くものがあるだろう。」という、今回はそんな老害チックなお話。
■ 偶然見たTV番組の話
1ヶ月ほど前だったか、仕事から帰ってテレビを付けたら偶然こんな番組がやっていました。
それは、私なんかが小学生だったころから知っているベテランの女性歌手Kさんが、ちょっと前までモノマネ歌手として売れていた芸人Aさんを本物の歌手として教育して売り出そうという企画。
Aさんも売れたい気はあるのですが、なまじっか歌に自信があるからか、どうしてもKさんの言うことを素直に聞くことができない。
おそらく企画的には、Kさんの思いが届いてAさんの歌は劇的に生まれ変わる、みたいなストーリーを期待していたのかも知れませんが、レッスンの途中でAさんが放った一言にKさんは激怒して企画は中止となってしまいます。
詳しい様子はこちらにまとまっているようですのでご参照ください。
http://japan.techinsight.jp/2014/01/kinsuma_kennaoko_aokiryuuji1401121707.html
あと、ググるといろいろ出てきます。違法にアップされていると知りながら、動画を見ることは違法です、STOP映画泥棒。らしいですよ。
、、、というわけでドキュメンタリー的には締りの悪い感じになってしまうのですが、番組の最後で、KさんとAさんが中島みゆきの『糸』という曲をデュエットをします。
デュエットというか、一番をKさんが、二番をAさんが歌いました。
Kさんは流石に聞かせます。歌詞の一言一言を大事にして、「人の出会いって奇跡のようなものだね。その出会いが誰かを幸せにすることがあるかも知れない、素晴らしいものだね。」と語りかけてくるようで、思わずホロリときました。
はてさて二番。
Aさんはどうか。私は「所詮は物まね芸人だから、ズッコケちゃうほど聞くに堪えないものなんだろう」とかなり偏見に満ちた耳を傾けて聞いていました。
するとその期待は、ちょっと想定していない方向で裏切られました。
Aさんはものすごく歌が上手いのです。声には艶があり、音程もしっかりしていますし、伸ばすとこ伸ばして、ビブラートも他であまり聞いたことがないほど震えちゃってます。私は音楽のことはド素人なのでうまく表現できないのですが、決して誰かの物まねという感じでもなく、一つのオリジナルとして完成されている気がしました。
歌、ものすごく上手いじゃん。これはちゃんとした歌手だね。友人とカラオケ行ってこんなの歌われたら相当ビビるわ、と思いました。
■Aさんの歌はなぜ深い感動を与えないのか
しかし、その歌は上手いながらも、Kさんの歌の流れを見事にブチ切って、私の涙腺を止めました。
上手くて一種の感動モノではあるのだけれけど、胸の底から熱いものがこみ上げるのではなく、表層的な感動なのです。
彼の歌を聴きながら、これはいったいなんだろうかと考えてしまいました。
そう。彼の歌はテクニックとして上手い。まるで中学校の時にやたら鉛筆回しが上手い友達がいて、それを見たような気持ちです。「うお!すげえな!」と。
しかし、テクニックってそこまでです。それを見たことによって思わず人生を振り返ったり、明日からの元気をもらったりということはありません。当然、鉛筆回しに感動して「ありがとう」とお金を払う人もいないでしょう。
やはり歌が人を感動させ、それによって結果的にお金を払いたいと思ってもらうことを目的にするのであれば、大事なのはAさんのテクニックよりもKさんの持っている内面です。
番組内でAさんはそれに気づかず、『自分の理想とKさんの持ってるものをミックスして何かできれば』みたいなことを言ってましたが、まったくすっとんきょうなことを言ってると感じました。
まず伝えたい何かがあり、そのための手段がテクニックであるべきです。
テクニックだけをいくら磨いても、それだけでは何の価値もなく、その中心に一本ビシッと通った芯が通ってないと、与えられるのはせいぜい鉛筆回しの感動レベルになってしまうのです。
ということで、この記事を書く際に見つけたbank bandの「糸」を張っておきます。IT業界に興味のない方はこの曲をお聞きいただきながらお別れしましょう...。
--------------
■芯のない状態で技術を勉強しても意味がない
さてやっと本題なのですが、業界は違えどITの世界もそうです。
趣味プログラマーとして遊んでいるだけであれば、鉛筆回しを練習して周りから『すげえな!』と称賛されていればいいと思います。ただ、他人(ひと)に何かの価値を提供してその見返りとしてお代を頂戴しようと思ったら、まずは実現したい何か、提供したい何か、お客さんにお勧めしたい何かがなければいけません。
それが無い状態で、小技だけ研究しても何の価値もないです。
これはもちろん「技術なんてイラネ」「営業トークで上手いこと言って喜ばせればいい」「プロモーションがうまくいけばしょぼいサービスでもブレークして夢のIPOでEXITだぜ!」とか言っている訳ではありません。
誰かに提供したいものがあるけど、技術不足でそれができない。それは悔しいことです。
その悔しさがあって初めて、
「技術を勉強しなきゃ何も提供できないね」
という話になります。
そして技術があれば、そこから他人の役に立てるフィールドも広がりますし提案できる二の手三の手も増えていきます。ますます他人の役に立ちたくなってきます。
これは鶏が先かタマゴが先か的な話に近いのですが、どちらが先でもいいわけではなく、プロなら必ず「他人の役に立ちたい心」が先でなければなりません。
たまに技術情報が先に耳に入ってくることがありますが、そんなとき、自分の「他人の役に立ちたい」という心に照らして、その技術がどんな役に立つんだろうと問うことが大事です。
もちろんまだ若く、多くのことを吸収できる人は、ちょっとでも役に立ちそうなことは実際にコードを書いてみたりして使える道具として大量にストックとしておくといいと思いますが、ただ単に知識として知っているとか、セミナーに行って漠然と聞いてきただけとか、お役立ちページをブックマークしてあるだけでは何の役にも立ちません。
■芯の確立は骨が折れるし恥ずかしい
人間のリソースというのは有限ですので、つまらない鉛筆回し級の技術をストックするのに腐心するくらいなら、芯の部分の確立の方に割り当てた方がいいと思います。
芯は、初めはぼやっとしたものでしょうが、そこから実際に形にして、誰かに提供してみて、フィードバックを受け、悔しい思いをしつつ補強したりいったん全部壊したりしながら強くなっていきます。それはとても骨が折れますし、恥ずかしいですし、評価されないと悔しいですし、時間がかかりますし、頭を使います。
エンジニアは35歳で定年だとか、いにしえからの嫌な言い伝えがありますが、価値あるエンジニアとして生き残ろうと思えば、大事なことは技術そのものより『他人の役に立ちたい』という芯の部分です。
それは生まれ持った性格などではなく、意識して努力して進化させていくものです。他人から継承されるものではありませんし、ましては知識として得られるものではありません。
ああ、その意味では先のKさんはAさんに無理なことを求めていたのかも知れませんね。
■以下蛇足・・・
今やっているオリンピックでは技術を競い、それによって全世界の人々に感動を巻き起こしてます。「技術で感動起きてるじゃねーか」「思い切っりビジネスやってるじゃねーか」と思われるかも知れません。
ただそれは、生まれもった類い希なる才能と、青春時代という人生のもっとも大事な時期を惜しみなく捧げた努力の融合を、4年に1度というほんのわずか瞬間にぶつけ合うからこそ、人の心を揺さぶるのです。
陽の目を見ている選手の陰には多くの献身的な協力者がいて、また多くの敗者が涙を飲んでいることを知っているからこそ、技術の頂点の戦いは美しく映るのです。
そこまで行くなら、その感動に人は湧き、お金も動くことでしょう。ただ私を含めて普通の人は、そこには行けません。
株式会社plumsa(プラムザ)では、システム開発に関するお悩みを受付中です↓