テレビ番組の再利用を阻むものは何か
BS フジで「世界名作劇場」の新作がはじまったそうです。アニメといえば、しばらく前にアニメのビデオ化についての声優への未払い問題が決着したという話がありました。声優は著作者ではないので著作権を持っているわけではありませんが、著作権法では演奏家や俳優などが持つ権利として著作隣接権が定められています。テレビ番組をビデオ化したり、インターネット配信するためには、この著作隣接権をクリアしなければなりません。著作隣接権も、権利者にとっての既得権ですから尊重すべきものだと思います。でも、この隣接権が古いテレビ番組などの再利用(ネット配信など)の障害になっているのも事実です。
当然ながら、一度制作したコンテンツがもたらす利益は、テレビ放送だけの場合より、ビデオ化などで再利用(二次利用)される方が増えます。こうした利益の増加分をメディア企業だけが享受するのは不公平な感じがします。それこそ、NHK の「少年ドラマシリーズ」のようにオリジナルテープが上書きされ、視聴者のビデオ録画が使われていることからもわかるとおり、古いテレビ番組やアニメは再利用ということが考えられていませんでしたから、出演料などの制作コストはそれなりのものだったはずです。これが、現在のように DVD やらネット配信など多様なメディアで生み出されるようになったのに、その利益が企業にのみ集約されて制作関係者に還元されないのであれば、問題視されてもしかたがないでしょう。
この問題の原因は、著作隣接権があることではなく、制作側(企業側)が、最初の段階で、演奏家や俳優に再利用を前提にした契約(十分な支払い)をしていないことにあるように思います。つまり、シングルユース(単一の利用)しか想定せずに作ってしまったわけです。ハリウッドでは、映画を製作する際に、映画館での興行収入だけでなく、テレビでの放送権や DVD による収入が(当然)最初から想定されているそうです。これが、一度作成したコンテンツを何度でも使いまわす「ワンソース・マルチユース」です。メディア企業が著作権の保護期間を延長したがるのは、同じメディアで細々と売り続けたいのではなく、次世代 DVD のようなマルチユースのチャンスを増やしたいからではないでしょうか。実際、ハリウッド映画では高額な俳優の出演料がニュースになったりしますが(歩合の場合もあるでしょう)、その見返りとして最初からマルチユースに対して全面的な許諾を与えているものと思われます。パラマウントがトムクルーズとの契約を打ち切ったからといって、出演映画が再利用ができなくなるということはなく、次世代 DVD やら新たなメディアを使った流通もされることでしょう。実際、私自身、過去の「世界名作劇場」のいくつかをレーザーディスクで買い、その後、DVD でも買い揃えました。
マルチユースを考えることで、シングルユースよりも制作費に余裕を持つことができます。たとえば、手塚治虫氏が鉄腕アトムのアニメ化をしたとき、実費よりもずっと安い金額で制作を請け負ったという話を聞いたことがあります。これはテレビで楽しむだけでなく、人気が出るであろうアトムのキャラクター権による収益を想定していたからです。テレビ番組を作っても、それがヒットしてはじめてビデオ化を考えたり、ネット配信や新しいメディアのことを考える(そのたびに支払いをする)ということだと、制作側のリスクは少なくなりますが、事後の著作隣接権の処理が面倒(あるいは不能)になるはずです。それよりも、最初から二次使用を含めた収益を想定し、それに見合う出演料をドーンと支払うようにすれば、関係者の収入も増えるでしょうし、コンテンツの品質も上げられるはずです。
もちろん、このようなハイリスク・ハイリターンが行き過ぎると、制作される内容が“売れる”もの(パターン)に偏り、斬新さがなくなっていく、あるいはリスクの高いニッチなものが作られなくなるという批判があるかもしれません。現在のハリウッド映画は、このような傾向にあると言われており、逆に邦画の人気が高まっています。しかし、制作会社(企業)は、もともとビジネス(商業主義)で動いています。一般的なビジネスでも、似通ったビジネスモデルによる競争(レッドオーシャン)よりも、新たなビジネスモデル(ブルーオーシャン)に挑んで大きな見返りを得ることがあるように、コンテンツ制作でも独自の世界を見つけ出す競争が生まれやすくなるはずです。また、ローリスクによって作品の品質が高まっているということはないはずです。
こうしたマルチユースを支えるのが、著作権による保護です。マルチユースを阻む隣接権を排除するのではなく、尊重した上で関係者には最初から十分な対価を支払わせる、そしてビジネスとして成立する形であれば、企業の判断で自由に新たな方法でコンテンツを配信できるようにすべきです。繰り返しになりますが、安くなければ(無料でなければ)、あるいは自由にコピーできなければコンテンツの利用が促進されないとか、文化が発展しないというのは幻想です。実際、レコード会社がこぞって携帯向けの音楽配信ビジネスに取り組んでいて、音楽配信ビジネスが成長しているのも、不正コピーの起きにくいデバイスだからでしょう。CCCD やコピーワンスが失敗(←失敗と断言しましょう)したのは、正規の利用にすら問題を起こすほど行き過ぎているからです。
ただし、この主張は、過去に遡って問題を解決できないという問題が残ります。これは再利用を考えなかった制作側のツケだと言えます。「既得権擁護派」である私としては安易に権利を否定するのは避けたいのですが、一方で、価値ある古いコンテンツ資産の再利用が進まないことにも、もどかしい思いが残ります。この点については、これぞという解決策を思いつかないということを正直に申し上げておきます。