いかにも哀愁を好む日本人
筆者の子どもが通う小学校で学芸会が開催されましたので見学に行ってきました。リコーダーを使って"魔女の宅急便"のイメージソングである「めぐる季節」を演奏するところから演目がスタートしたのです。
いかにも日本人が好みそうな哀愁を帯びた音色に筆者も思わず惹かれていきました。
はっきりいって、我々は底抜けに明るい国民ではないんだと(やや根暗な)、あらためて知らされた鑑賞の時間帯でもあったのでした。
ショパン国際ピアノコンクールをご存知でしょうか?日本人のショパン好きは一部で知られていて、「哀愁」を帯びたショパンの楽曲を好むところがいかにも日本人的なのです。
このコンクールでは、歴代出場した日本人の活躍もそうですが、アジア勢の台頭が近年顕著です。
例えば、優勝者では2000年(第14回大会)のユンディ・リ(中国)や2015年(第17回大会)のチョ・ソンジン(韓国)がいます。参考までにこれまで日本人で優勝者は輩出されていませんので、中韓の台頭ぶりがよくわかります。
なぜここまでも、哀愁を好む民族なのでしょうか?我々は。
やはり四季の存在が大きいと思います。
明確に目の前に展開される季節がそうさせるのでしょう。
ただ、四季がそうさせる、という説は定番であり以前より語られてきました。
さらに付け加えれば、以下は筆者オリジナルの考え方ですが、島国に住む我々民族は古来より諸外国からの襲撃を恐れる必要がなく、比較的静かに歴史を刻んできた、という点に私は重きを置いています。
つまり、自然に囲まれた静かな生活環境の中で、何事にも邪魔されずに思案に耽ることがじっくりできた、という要素です。
それが、単純に目に見えるモノ以上により深い思想に到達することができるようになった、という独自の五感の発達を持たらせてくれたのです。
まさかこうした特有の我々の感性が、賑やかさや楽しさを好む別の国の人たちからも熱い支持をいただくことができる時代が到来するとは20〜30年以上前には考えられなかったのでした。