最近の世界情勢を見て思ったこと
木曜日の夜に、ワールドカップサッカーアジア2次予選の日本vsシリアをTV観戦しました。
久しぶりに日本代表の戦いぶりを見ましたが、勝負の行方とは別にどうしても考えてしまうことがありました。
対戦相手であるシリアの国情のことです。
国が2分割も3分割もしてしまう位の戦いが始まって、もうかなり長い年月が経過していると思います。
いつも思うのは、シリアのトップであるアサド大統領は、眼科医であるのにも関わらず武器を手にした戦いを主導していること自体が、にわかには信じられないことです。
それくらい、問題の根っこは複雑で容易に解決しないということの裏返しですが。
このシリアなどから逃れてくる難民の受け入れも問題となっています。
我が国の昨年の受け入れ実績がほんの10人足らずと聞いたときは正直驚きましたが、東欧諸国は彼らイスラム教徒の受け入れを拒否しています。
世界のあらゆる地で起こる紛争の根本には、宗教問題がある、と考えがちです。
ところがキリスト教について考えてみてください。
キリスト教を国教としている国の何と多いことか。世界中に広がっています。米国や英国、ドイツ、フランス、イタリアどころか、ロシアもウクライナも、ポーランドもハンガリーもスロバキアも、南米諸国もキリスト教です。
この広がりにはあらためて世界におけるキリスト教の存在の凄さを感じます。
それなのになぜ、ロシアはウクライナと問題を起こすのか、さらに西ヨーロッパの国々に対して、時には敵対するのでしょうか?
同じ宗教を信じているのに、これだけ同志が世界中に数多く存在するのに、ということを思わざるを得ません。
近年、急速に信者を増やし続けているイスラム教のことに照らし合わせると、同じイスラムでも宗教観はさまざまでいろいろな考え方があるのと同じ論理なのでしょうか?