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課題と問題の違いをドヤ顔で説教するオッサン、あるいは脆弱なコミュニケーション

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「課題と問題は違う!(ドヤ~)」
「信用と信頼は違う!(ドヤ~)」
「目標と目的は違う!(ドヤ~)」
みたいな説教、聞いたことあります?僕は20年以上前に新入社員だったころ、よく聞かされた。
いまでもネットで定期的にこういう話がバズるので、人々はこの手のテーマで説教するのが好きなだけでなく、されるのも大好きなのかもしれない。

問題と課題を例にしてみよう。昔うけた研修では、

問題:あるべき姿と現状との差
課題:問題を解決しようとすると、課題に昇格?する

というようなことを講師がドヤ顔で話していた。ふむ。

他にもネットを検索すると、

問題:発生している状況を示す。組織にネガティブな影響を及ぼす
課題:目標を達成するためにこれから成すべきこと

などと書いてある。

たぶん、問題とは「静的な状況」であり、課題とはもっと動的なイメージ、これから変化しようとする雰囲気をまとっているらしい。
でも「解決しようとするアクション」は普通施策と呼ばれ、課題は動作そのものではない。あくまで「解決しようとする意思を含んだ、やや動的ななにか」ということらしい。分かります?僕はあんま分からない。

そこで辞書を引くことになる。今回のテーマにマッチしそうな意味だけ抜粋すると、

問題:解決すべき事柄。課題。
課題:解決しなければならない問題。果たすべき仕事

となる。
お互いの説明にお互いの言葉が使われているということは、デジタル大辞林はこの2つをほぼ同じ意味だと考えているらしい。はて、講師のドヤ顔は何だったのか?


意味が分からなくなってきたが、色々考えると、どうやらこういうことらしい。
・辞書的には問題と課題はほとんど同じ意味
・ビジネス界では一部の人が、「問題:静的、課題:動的」といった使い分けを提唱している
・それを見たオッサンがドヤ顔で広め、だんだんそれが常識になりつつある


僕がさっきから「ドヤ顔で説明する」という言い方をしているのは、もちろん悪意のある表現だ。好きじゃないんですよ、そういうの。

当たり前だが、言葉というのは、コミュニケーションと思考の道具である。だから、なるべく誤解なく正確に表現できたほうが良い。
だがほとんどの日本人は「問題と課題の意味の違い」を理解していない。例えば僕は日本語運用能力が上位5%に入っている自信があるが、問題と課題を使い分けていない。誰かが使い分けた微妙な表現をしてくれても、意図はつかめない。
つまり、「問題と課題の違いを理解している人だけに通じるような言葉遣い」というのは、とても脆弱だ。そんなものに頼ってコミュニケーションしてはいけない。

※思考については、その人の脳みそ内で完結するので、勝手にすれば良い。が、僕自身は、問題と課題を使い分けることで、より思考が深まる様子がどうにも想像できない。

僕は変革プロジェクトを仕事にしているので、「課題とか問題的なもの」に日々まみれている。プロジェクトの現場でどういう言葉遣いをしているかというと、シンプルに、全てを課題と呼んでいる。
(厳密には、ホワイトボードにはISSUEと書く。単に画数が少ないからであって、意味としては課題=ISSUEという程度で使っている)
問題と課題を使い分けせずに全てを課題と呼んで、困ったことは一回もない。思考が深まらないとも思わない。
なぜそういう、大雑把なコミュニケーションスタイルを採用しているかには、明確な理由がある。僕が色んな人と一緒に仕事をするからだ。たぶん1年間に30社くらいの人とコミュニケーションする。お客さん、ベンダー、意見交換をする方、出版社の方・・。数万人の大企業の方もいるし、10人くらいの会社の社長さんもいる。100年以上続く会社の方もいるし、5年前にできた会社の方もいる。NPOの方を含めて、全員広い意味でのビジネスパーソンだが、それでもカルチャーも言葉の使い方も違う。

そういう、色んなタイプの方と正確に意思疎通をしようとすると、微細な言葉の差に頼った話し方は向かない。もしも
問題:あるべき姿と現状との差
課題:問題を解決しようとすると、課題に昇格?する
の2つの差を相手に伝えたいならば、「放置する課題と、優先的に解決すべき課題がある」と言う。これで多分、言いたいことは伝わりますよね?
もっといいのは絵を書くことだが、正直言ってこの定義を僕は正確には理解できないので、絵を書けない。
あえて書いてみるならこんな感じか?定義Aがドヤ顔のオッサンによる使い分け。定義Bが僕の用法。

xx_20180512_問題と課題.jpg

ちなみに、あるサイトに

「お店に来店する客が少ない」というのが「問題」だとすると、
「課題」は「ダイレクトメールを出す」にあたる

という記述があった。

客が少ないという状況へのアクションがダイレクトメールなので、この2つを呼び分けるのは、コミュニケーションを円滑にするためにはもちろん必須。ただしそれを、ほぼ同義語である問題と課題に独自の解釈をくっつけて担わせるのは、下手な方法と言える。

僕の場合は

「お店に来店する客が少ない」を「課題」と呼び、
「ダイレクトメールを出す」を「施策」と呼ぶ。

ずっと分かりやすい。


問題と課題の意味の微細な差に頼ったコミュニケーションは脆弱だ、と言ったが、そういうコミュニケーションは、究極的にダイバーシティがない所では通用する。中途採用の社員がほとんどいず、社外のパートナーと協業することなく、ずっと同じ顔ぶれで仕事するような職場が、日本にはまだ残っている。
でも、そういう所で働く人だけに向けて「課題と問題は違う!(ドヤ~)」と言っていてもしょうがない。
同じことは「信用と信頼」とか「目標と目的」にも言える。もちろん、目的と目標では辞書的にもかなり意味が違う。だが、日本人の多くはごっちゃに使うので、意図的に使い分けても通じない前提でいたほうがいい。
誤解のないように書くと、あなたが正確に使い分けるのは良いことだ。だが、コミュニケーション相手がその差を感知できるとは思わないほうが良い。
それに頼ると、コミュニケーションはたちまち脆弱になる。

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