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あるいはファシリテーションが得意なコンサルタントによるノウハウとか失敗とか教訓とか

真の文系が叩きこまれている本の熟読法、あるいはビジネス書を仕事に活かす方法論めいたもの

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もう40代なんで、文系理系を意識することってないんだけど、ネットの記事やビジネス書のタイトルでは文系理系という言葉が結構使われている。

しかも、たいていは文系をくさす内容だ。
以前、編集者さんとタイトルについて議論している時に

「簡単」「誰でも分かる」というニュアンスを出したい時に、最近のはやりは「文系向け」って書くことが多いんですよ

と言われて、のけぞったことがある。
たしかに「文系でも分かる」「文系でも知っておきたい」というタイトルの本はたまにある。こういう理由だったのか・・。

つまり、文系はバカの代名詞ってことですか???

とは言え、理系が「数字に強い」「論理的思考力」「実験の作法を叩きこまれている」「コンピューターが使える」というイメージがあるのに比べて、文系は「高校生の時に数学が苦手だった人」というイメージしかない。
文系だからこれが得意です!というのがないんだよね。


そのまんまだと悔しいので、文系代表として考えてみた。
僕の結論は
「文系の強みは、本のきちんとした読み方を叩きこまれている」
です。

本の読み方を訓練され、身につけていることは、極めて強力な武器だ。仕事人生を通じて使える。

マックシェイクを飲む姿を想像して欲しい。
本を読むのが下手な人は、細いストローで必死に吸っている。顎が疲れる割に、ちょっとしか飲めない。
本の読み方を訓練されている人は、シェイク用のぶっといストローでグイグイ吸い込む。そんな感じだ。

「仕事に役立つ本の読み方の秘訣」は、突き詰めると1つだけだ。

手応えのある本を、具体例を考えながら読む。


まず、本当に仕事に役に立つ読書をやろうと思うなら、「○○すればすぐにうまくいく」みたいな本ではなく、もっと手応えのある本を読んだほうがいい。
「すぐにうまくいく」とか「猿でも分かる○○入門」は、ある領域をさっと理解するためには便利だから、僕もたまに読む。
でも、それはその時しか役に立たない。
すぐに学べるものは、すぐに役に立たなくなる。適用できる状況がすごく狭いから。

一方、「手応えがある本」というのは、少し抽象度が高い本のことだ。
例えば(個人的にはあまり好きではないが)、ドラッカーの本を読むと、

過去のリーダーの仕事は「命じること」だが、未来のリーダーの仕事は「聞くこと」が重要になる。

みたいな文が、あまり説明や実例なしにポンと書いてあることが多い。
日本語として意味は分かる。「まあ、そうかもね」とも思う。
しかし、それだけで終わると、ほとんど役に立たない。第一、即実戦投入できる、という感じはしない。


そうではなく、少し抽象度の高い本を読む時に、唯一絶対にやらないといけないのは、
「これって、具体的にはこういうこと?」
「今の仕事で言えば?」
をイチイチ考えながら読むことだ。


例えば、名著「ストーリーとしての競争戦略」を読むと、

優れた戦略ストーリーには、一見すると不合理な、「賢者の盲点を衝くキラーパス」とも言うべき要素が組み込まれている。

という話が出てくる。
これを「ふーん」と読み飛ばしてしまっては、それまでである。
そうではなく、必ず本を読む手をとめて、
「ウチの会社にとって、キラーパスってなんだろう?」
「最近、イケてると評判のあの会社にとってのキラーパスってなんだろう?」を考えるのだ。


僕の会社ケンブリッジも、普通はやらない一見不合理な方針が結構ある。
例えば「プロジェクトを成功させるノウハウは、OPENに教える」とか。
結構なお金と時間をかけて磨いてきたノウハウなので、人に教えるならば有償にしたいところだ。でも、僕らはノウハウを無料セミナーで話し、本に書き、会いに来てくれる人には丁寧に説明する。プロジェクトの現場でも、お客さんメンバーに教えまくる。

本の読者やセミナーには、競合他社の社員もかなり多い。プロジェクトのお客さんメンバーにノウハウを教えると、ケンブリッジを雇う必要性が減る。
まさに不合理だ。でも、僕らはそうするのが素敵だと思ってやっている。で、よくよく考えると、僕らの戦略を支える、キラーパスになっている。一見不合理だから、真似をする競合他社はあまりいない(特に、お客さんを教育して、僕らを雇う必要性を減らす部分は)。

・・みたいなことを、こんこんと考えながら、本を読む。ああ、僕らがやっているあれって、経営戦略的な文脈では、こういう風に解釈できるのか・・と理解が進むことも有意義だ。


これは自分に引き寄せて議論する、ということでもあり、「抽象と具体の反復横跳びを訓練する」ということでもある。

プロジェクトの企画段階では、
・この変革プロジェクトのコンセプトはなんだろうか?(抽象)
・具体的には、何がどう変われば嬉しいのだろうか?(具体)
を交互に議論しながら、やりたいことを明確にしていく。

特にプロジェクトリーダーになると、この能力が絶対に必要だ。こうやってやりたいことを明確にできないと、他の人々をリードできない。経営時にプロジェクトの必要性も説得できない。
抽象的な本を読みながら具体的なことを考えるのは、その訓練になる。


さて、読みながら具体例をイチイチ考えていると、ちっとも読書が進まない。
それでいいのだ。

僕にとって、いい本の定義は「面白くてあっという間に読んだ本」だが、最高の本の定義は「読みながらあまりにいろんなことを考えたので、読み終わるのに膨大な時間がかかった本」である。

例えば前述の「ストーリーとしての競争戦略」は、元々長いこともあるけど、たしか3週間くらいかけて読んだ。
「ビジョナリーカンパニー2」もそれくらいのペースだった。

こうやって本を読むのは、第一にエキサイティングだし、第二に役に立つ。



ちなみに、僕はこの「本の読み方」を大学のゼミで叩きこまれた。
僕は1年から好きな学部のゼミを取れる、贅沢な大学にかよっていたので、5年間で4つのゼミをとった。
どのゼミでも、本を熟読し、ゼミ生10人と教授が、内容について議論することが教育の中心だった。最初のうちは少し不思議だったのを覚えている。
なぜ本ばかり読まされるのだろうか?
なぜわざわざ英語の本を読むのだろうか(日本語の本を3倍読むのではなく)?

でも、そうやって舐めるように本を読むことが、思考力の血肉になっていることに、後から気付かされた。
そして本の読み方、という一生使える武器を手に入れたことを。

僕がメインで勉強したのは経営学だったので、定点観測業界を3つ持って、新聞や雑誌で情報収集していた(自動車、コンビニ、ゲームの3業界。自分が興味があるものから、硬軟取り混ぜて選んだ)。
そして経営学の専門書を読むときは必ず、「自動車業で言うと?」「コンビニで言うと?」「ゲームだと?」と具体的なことに引き寄せながら読んだ。
それを未だに続けている。自分の会社だったり、お客さんの会社だったり。

社会人になってからでも遅くはない。
是非、自分の会社、自分の業界に引き寄せながら、抽象と具体の往復をしながら、本を熟読して欲しい。

僕も最近は、仕事を通じてこういうゼミ形式の教育を試している。
社内のトレーニングの講師をするときは、事前に資料を読み込んできてもらって、トレーニングの時間は各自の経験の共有や、具体例についてのディスカッションだけにつかう。
お客さんが「プロジェクトリーダーになるために、プロジェクトの立ち上げノウハウを学びたい」と希望したので、「業務改革の教科書」を輪読するゼミを開催したこともあった。本の著者がゼミ講師もつとめる、贅沢な場だ。

一時、勝間和代さんなんかが速読をプッシュしていたけど、僕は全くやりたいとは思わない。熟読の方がずっと楽しいし、最終的にはずっと役に立つ。
熟読。オススメです。

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ちなみに、この本も、自分の会社に引き寄せて、あれこれ考えながら熟読してくれる読者が多くて嬉しい。

そういう手応えのある読書体験ができるような本をいつも目指しているから。

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