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12年前に会社を辞めたときに考えたこと、あるいはその後の現実検証

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僕が内田樹の次にすごいブログだと思っているのは、ちきりんさんのブログ
彼女の呼びかけで今、「退職時のメールやブログ記事を共有しよう」という企画をやっている。

そこで
「12年前、前の会社を辞めたときにブログやってたら、これを書いたかな?」
というテーマで書いてみたい。

★前職はこんな会社
前職には新卒で入った。
まったく無名の、大阪を根拠地とする300人くらいのソフトウェア会社である。SEの派遣とシステムの請負開発を半々でやっているような会社。

大学の友人はたいてい、
・金融(まじめそうなヤツ)
・商社(体育会か、それっぽい性格のヤツ)
・マスコミ(今で言うリア充なヤツ)
・メーカー(ちょっと地味なヤツ)
のどれかに就職していたし、ほとんどが名前を聞いたことがある大企業だった。

だから、僕の選択はちょっとヘンだったし、「おまえ勇気あるな、尊敬するよ」とか「おまえらしい」とか、散々な言われようだった。

なぜそこを選んだかというと、小さくて怪しくて面白そうな会社だったから。
実際、異様な新人研修とか、上司への絶対服従とか、変わった会社でしたね(軍隊とか宗教と言われていた)。2chのブラック企業一覧に載っていたり。

そして、就職活動中、僕はむしろ卒論を書くのに夢中だった。だからまじめに考えてなかったんだよね、結局の所。
例えば、この会社の社長面接を待っている間も、学術書を読みふけっていた。部屋に入ってきた社長はちょっとびっくりしていた様だけど、何を読んでいるのか聞いてくれて面接がスタートした。今思えば大人の対応だよな。

入るからには30年はそこで働くつもりだったが、万一合わなかったとしても、SEとしての技術が身に付けば、何とかなるだろ、とも思っていた。

★なぜ辞めようと思ったか
ちきりんさんが紹介している他の方の退職ブログを読んでも「前の会社は好き」「感謝している」と書かれている方が多い。

僕も前の会社にはとっても感謝しています。へらへらとした生意気な学生を、プロフェッショナルに叩き直してくれたと思う。特に仕事に向かう姿勢やコミュニケーションの基本などなど。

大手のゼネコン的SI会社とは違って、しっかりプログラミングやシステム設計という基本を経験させてもらったのも、今となっては本当にありがたかった。
2年生の時に、リーダーに抜擢してもらって、あの会社にしては、ずいぶん好きなようにやらせてもらえた。
でも結局、3年半で辞めようと思った。理由は3つ。

1)ユーザーのキーマンとガチでやりたくなった
小さい会社だったんで、結構2次請けの仕事が多かった。
1次請けだとしても、僕らが担当するのは
「どんな目的で、どんなシステムを、どうやって作るか」
が決まった後から。

最初のうちは、その枠内で「いかに良いものを、安く、速く作るか」に必死になっていた。
でも、それがある程度できるようになった後は、やっぱり、「そもそもこのシステムいらないんじゃないか?」「もっとこうすればいいのに」という思いが強くなった。

やりたかったのは、キーマンとそういう議論をガツガツやって、本当に良いものを作る仕事。それをかなりうまくやる自信はあったけれども、外注会社から派遣されてくるSEにそれをさせるということは、あり得なかった。
せっかく仕事するなら、環境がボトルネックになるのはイヤだ。自分の能力不足でできないならしょうがないけれど、「下請けだからできない」「外注だからやらせない」というのは切ない。

2)井戸の中を見渡すと、カエルのなかでは上位になっていた
必死にお客さんの要望に応え、技術的な事を勉強し、自分でも工夫しながら勉強会なんかを開いていた。そしてある時、自分のスキルが、その会社のなかで結構イイ線まで来てしまっていることに気づいてしまったのだ。

もちろん、錯覚だったかもしれない。でも、雲の上の技術者だと思っていた人たちが、結構普通だと思ってしまったんですね(少なくとも自分が得意な領域、重要だと思っていた領域では)。
優秀な先輩が辞めてしまった、ということもある。

これはショックだった。
もちろん、井戸みたいな会社だという自覚はかなり早くからあったのだけれども、自分が「井の中の蛙」になるのは予想より3、4年早かった。

3)自分が、この会社では異分子過ぎることに気づいた
そんなことを考えていた時、たまたま結婚した。で、結婚式にからんで会社との間でゴタゴタがあった。「世間では常識、でもその会社では非常識」という地雷を踏んでしまった訳です。

それ自体はまあ、些細な事だったんだけど、定年まで30年、こういう軋轢があり続けるんだろうなぁ・・と思うと、ウンザリだった。仕事とプライベートを分けて考えるような会社でもなかったし。

その会社にはその会社の論理がある。別にそれはそれで良い。でも、その枠に収まらない自分がいる。いつか辞めるなら、今が潮時なのかも・・。

★辞めると言ったとき、会社は?
会社の上司(当時ナンバー2だった人)には、もちろん?慰留された。僕なりに理由を説明したのだけれど、そのなかで
「チームを移籍するサッカー選手みたいな気分です」
という表現を使った。
そしたら、その上司は「それならばしょうがない」となぜか納得してくれたのだった。

してくれたんだけど、多分、意図は全然伝わっていなかった。
当時は中田英寿が注目を集めていた。
あまりサッカーを見ていない人は彼に対して「組織より、自分の利益を優先する新人類。他のチームが高い年俸を払うならば、チームが降格の危機にあっても、見捨てて移籍する」というようなイメージを持っていたように思う。
多分僕の上司も「カネにつられたのならしょうがない」と納得したんだろう。

でも、僕が言いたかったことは全然違う。カネはどうでも良いんだ(結果的にかなり年俸は上がったけれど)。

サッカーというのは、選手同士の凄く微妙な共同作業である。技術があり、意識が高い選手が、優秀な監督のもとに集まると、ハッとするような連携プレーでゴールが入ったりする。

チームが高いレベルで噛み合うことが大事だ。自分一人の技術が高くても、そういうプレーはできない。むしろ独りよがりなプレーになってしまう。イチローが低迷するチームにいても一人ヒットを積み上げる、という光景とは違う。

僕はサッカー選手の、「高いレベルでプレーしたい」という渇望が感覚的に凄く理解できたし、自分でも、自分の仕事で求めたくなった。
そういう感覚を、サッカーにも詳しくないし、ずっと一つの会社で頑張ってきた上司に説明するのは難しい。辞める以上、説明したってしょうがないし。
僕は「誤解されたな」と思ったけれども、そのときは曖昧な笑みを返しただけだった。

★なぜ今の会社を選んだか
SEだったので、新卒の時には受けなかった大手SI会社や外資系ソフトウェアベンダーなど、転職活動では幅広く回った。
当時BIG6と呼ばれていた大手コンサルティング会社にはたいてい前の会社の卒業生がいたから、そういう所も一通り回った。(ちなみに、前の会社は教育機関としては素晴らしい所だった。卒業生に会うと、活躍ぶりがすさまじい)

今の会社、ケンブリッジのことはもちろん知らなかった。
行くつもりもなかったけれども、人材紹介屋さんに「面接の練習がしたいから、面接が大変な会社を見繕って」と頼んだら薦めてくれた会社だった。
ただの練習台として。

会社の仕事が終わってから面接に行ったのだが、社長以下、色んな人が出てきて、結局面接が終わったのは終電に近かった。隣の部屋ではなぜかパーティーをやってて、しかも僕の面接よりパーティーが気になっている人なんかもいた。
なんだか面白そうで、変わっていて、活気がある会社だな、日本上陸3年目くらいらしいから、そんなもんか。
「小さくて怪しくて面白そうな会社好き」がウズウズと・・。
ちなみにケンブリッジは、前の会社よりさらに小さくて、僕は45人目の社員だった。

決め手は2つある。一つは、転職を決心した理由でもある、お客さんとの近さ。正式名称が「ケンブリッジ・テクノロジー・パートナーズ」というくらいで、お客さんとパートナーシップを築くことをとても大事にしていた。

もう一つ、自分にとって決定的な事があったのだが、いい加減長くなってきたので、今回は省略。気が向いたらブログにまた書きます。

★12年後の今、想定外だったか?

想定通りだったことは2つ。

1)お客さんとの近さ。これを僕らは今、「One Team」と言っている。そして「お客さんにとって何が一番正しいか」だけを考えて仕事をしている。

2)オープンでまっとうな会社だったこと。前の会社であった、結婚式にまつわるトラブルとか、今の会社の人に言ったら「へ?」という感じだと思う。

想定外だったことは5つ。

1)まさか、12年たってもまだ会社にいるとは思わなかった。

2)ミドルネームが「テクノロジー」というくらいだから、テクニカルな仕事が多いのかと思っていたが、そうでもなかった。
会社に入ってから、ほとんどシステムというよりは「お客さんの業務をどうするか」という話ばっかりしている。ある意味期待通りでもある。

3)入社前は言葉すら知らなかった「ファシリテーション」を教わった。
仕事の武器だっただけでなく、全ての考え方のベースになった。

4)外資系に入ったと思っていたら、買収されたりして、色々あった。

5)こんなに会社と、会社の仲間が好きになるとは思わなかった。

12年前の事を久しぶりに思い出した。こうやって書くと割り切っているように見えるけど、当時はかなり悩みました。
元々長く働くつもりで入った会社だし。もちろん同僚や後輩との絆もあるし。

村上春樹に「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」という超傑作がある。
「世界の終わり」というのは、「僕」が、街を囲む壁の外に飛び出すか、とどまるのかで、悩む話である。物語では結局、壁の中にとどまることを選択する。
僕の場合は、悩んだ結果、飛び出すことを選んだ、ということなんだと思う。

つい最近、村上春樹が
「物語の最後に、飛び出すのかとどまるのか。書き終わる直前まで決めてなかったし、結局のところ、どっちでも良かったのかもしれない」
とインタビューに答えていた。
それを読んで、少し気が楽になった。

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