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ZARDって誰?とマラソン

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 「ZARD」というバンド(歌手?)のことをニュースで盛んにやっていた。 4万人も参列者があったということである。 このオルタナティブブログでも「泣きました ZARD 坂井泉水さん 追悼会」という投稿がされていたので、かなり有名だったのだろうが、私はまったく知らない。

 音楽に関する私の情報源は、「iPodが私にくれたもの」で書いたが、娘たちが借りてきたCDがiPODに自動コピーされてくるものが唯一である。

 今日、夜食をとりながらニュースを見ていると、またやっていた。 よく見ると、私と変わらない年代の人もいるではないか? そして、あの曲が流れてきた「、、負けないで、もう少し♪」 。 え、この曲、ZARDって人の曲なの? 次に流れてきた曲も、その次も「この曲、全部、知っている!」 知っているどころか、これらの曲を聴くたびに励まされ、元気づけられてきたものばかりではないか。 特に、あの曲、、、、、、。

 私は転職前の30代中盤に、先輩の誘いで始めてマラソンに挑戦した。 それも初マラソンでフルマラソン(42.195km)。

 7月ぐらいからジョギングを始め、最初は数キロ走るのがやっとの状況だったが、10月頃には仕事から帰った夜11時頃から1時間(約10km)を雨の日も風の日も、飲まない限りは走り、月間300km以上を走るようになった。

 ゆっくり走っていると1日の駄目な自分への嫌悪感や疲労が抜けていくのがわかった。 営業成績が私より低い同じ部門の後輩達が次々に昇進したり、私の給与を抜いていったりして会社に不満もあった。

 頭が悪い分、人一番ビジネス本を読み、誰よりも提案書を書いて、誰よりも考え、月100時間以上仕事をしていたので自負があった沢山の言い訳を心の中でしていたが いつも「仕事が楽しい」を口癖(プライド)にしていたし、妻からも尊敬され、娘たちは私を「何でも出来るスーパーマン」だと思っていたので、表面上は前向きを装い、同僚や妻にも愚痴を言わなかった。 走ることで発散できたし、走っている間にいろいろな事を考えられるのである

 初マラソンは11月後半の河口湖マラソンであった。 かなり走りこんできたものの、練習で最も長く走ったのが30km。 その時は、30km時点でまったく足が前に出なくなり、足の甲と足首、膝を痛め、乳首はウエアと擦れて血が出てジョギングウエアの胸が赤く染まった。 もちろん、翌日は筋肉痛などで階段が降りれず、トイレにも座れなかった。

 心配を抱えながらも、早朝のマイナス2度の気温の中河口湖の繁華街をスタート。 5分台後半/1kmのペースで守り走る。 スタートしてすぐに宇宙戦艦ヤマトの「、、必ーず、ここへー、帰ってくるとー♪手を振る人に、笑顔で応えー♪銀河を離れイスカンダルへー」が流れた。 洒落ている。 途中、様々な曲が流れてきた。

 河口湖は一周が20km弱。 一周してスタート地点に戻ってきたときには、息は上がらないが、足が前に出なくなっていた。 まだ、走り始めて3、4ヶ月の私にはオーバーペースだったようである。

 良くマラソンを根性と重ねて表現する人がいるが、マラソンは苦しさとの戦いではなく、日々で筋肉と血を鍛えた成果である。 苦しくないのに筋肉がつり、動かなくなるのだ。

 一緒に来た同僚が一周でやめ、外国人招待選手がゴールするのを横目で見て、もう1週、2時間以上走らなくてはならない絶望感を感じながら、ゴール地点を後にする。

 せっかっく練習してきたのだから「絶対に止まらない、歩かない、走って完走」と心に決めていた。

 1時間ほど走るとゴールと反対側の湖に来た。 走る速度は7分/km程度になるり、とにかく足が前に出ない。 歩いている人を抜くのも一苦労で、右足の甲と膝の奥ががひび割れているように痛いのを我慢しながらも35kmを過ぎた。足がつりはじめていた。

 「もう充分に走った。足も痛いし、もう歩いて、ゴール近くになったら皆の見えるところだけ走ればいいんだ。 それで合格。 子供たちにも走りきったと言えばいいんだ」と思い、きっかけを探し始める。

 給水所先(5km毎)に見える休憩所(怪我の応急処置もしてくれる)で休もうと決めた。 結局、逃げたのである。 また、外だけ取り繕って言い訳だ。そこが私の駄目なところだとわかっているのに。

 止まりそうな速度ながらも、休憩所まで走ることを目標に、かすかに見える、休憩所に近づくと、音楽が流れてきた。 そう「負けないで」(曲名は知らない)である。 

 「、、あの日のように輝いている、あなたでいてね♪ 負けないで もう少し 最後まで 走り抜けて♪、、追いかけて 遥かな夢を♪ 何が起きたって へっちゃらな顔して どうにかなるさと おどけてみせるの♪」

 そうだ、何があっても何とかする努力をするのが私の持ち味だし、愚痴を吐かず、努力も見せずに明るくいるのが俺だ。妻も娘も俺のことをそう見ているだろう。

「、、負けないで ほらそこに ゴールは近づいてる♪、、、、負けないで もう少し 最後まで 走り抜けて♪、、、負けないで ほらそこに ゴールは近づいてる♪」

 遠くにかすかだがゴールが見える。 休憩所を行き過ぎてしまった。 気がつくと道の両側は沢山の人が応援している。 ゆくりでいいからとにかく歩かず、このまま進もう。 ゴールは見えている。 40kmを通過。 あと、15分頑張ればいいのだ。 まだ、あの歌が背中を押している。 まだ、ゴールしていないのに、涙が出てくる。 痛いからではない。 なぜか止まらない。

「、、、何が起きたって ヘッチャラな顔して どうにかなるさと おどけて見せるの♪、、、、そんなあなたが好きよ♪」
「、、負けないで ほらそこに ゴールは近づいてる♪、、、、負けないで もう少し 最後まで 走り抜けて♪、、追いかけて 遥かな夢を♪」

 湖畔から市街地に入った瞬間、100mほど先のゴールまでの一本道は大声援と沢山の人。 その中をゴールに向けて元気に走る。

 涙で前が見ないほどだが、汗と混じっているので、気がつかれないだろう。 汗と一緒に涙をぬぐいながらゴール! 両手を挙げてガッツポーズ。 4時間12分。 まったく歩かず、負けずに完走である。
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 昨日までZARDを知らなかった私であるが、これは、間違いなく私を支えてくれていた。 知らなかったものが結びつき、興奮で長々と書いてしまった。(今、夜3時)

 さて、週末はZERDのレコードをTYUTAYAに借りに行くとするか。 ELTに続き私のお気に入りになりそうである。

p,s, マラソンの時の様子は、10年ほど前、PC-VANの「シティランナー」(マラソン雑誌)のBBSに私が投稿したものを引用しました。

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