「若者たちよ、蜂起せよ!」詳説・営業編
昨日の「エンジニア編」に続き、先般投稿した「若者たちよ、蜂起せよ!」について、営業はどのような「蜂起」をすべきかを考えてみよう。
私たちはいま、正解のない時代に生きている。しかし、正解がなければ、私たちは何を頼りに判断し、行動を起こせばいいのだろう。
お客様は、いまこのような状況に置かれているのではないか。そんなお客様を相手に、ITベンダーは、何を売ろうというのだろう。
「課題を教えてください。何をすればいいのかを教えください。そうすれば、最適なソリューションを提案します。」
お客様は、それが分からないから困っている。そんなお客様の想いをスルーして、こんなことを平気で言っているとすれば、お客様も困ってしまうだろう。いや、頭にくるだろう。
「なるほど、確かに大変ですね。ならば、まずはRPAの導入からはじめてはどうでしょう。業務の効率化、省力化ができますから、そこで実績を上げて、次のステップへ進みましょう。」
発熱して頭も痛く、咳も止まらない相手に、まずは「かゆみ止め」で、虫に刺されたところの痒みを取りましょうといっているようなものだ。
正解がないからと言って何もできないわけではない。DXやデジタル化などと耳障りのいい流行言葉でごまかすのではなく、まずは、私心なく、お客様と対話することから初めてはどうだろう。
対話とは、相手への敬意と共感から始まる。これまでの彼らの歴史を否定するのではなく、その苦労に思いを馳せ、いまの状況や悩みを聞き、それに頭を垂れる。次に、自分の中に浮かんだ疑問をぶつけ、それについて、整理し、また問いかける。そして、最後に、ならばこうしてはどうか、こんな取り組みがうまくいくのではないかと、自分の正解(の仮説)を相手に投げかけ、議論を深めてゆく。もちろん、その正解は、「お客様にとっての最適解」であり、自分たちのビジネスにとっての最適解になるかどうかは、無視することだ。
「過去」に共感し、「現在」を冷静に見つめ、「未来」を提言する。それが対話だ。
DXやデジタル化ありきではない。自分たちの商材ありきではない。業務手順や組織体制、業績評価制度や雇用制度、現行システムや自分たちへの不満や期待など、お客様の幸せのために、一緒になって、最適解を探すために対話する。DXやデジタル化、自分たちの商材は、その後の話である。
そんな対話から得られた最適解のほとんどは、案件に結びつくことはないだろう。それでも、お客様を一番に考えて向きあえば、まずは、仲間に入れてもらえる。お客様と一緒のチームになれる。
予め用意された正解はない。だから、お客様と一緒になって、自分たちで正解を作る。
正解のない時代に、お客様が求めているのは、こういうパートナーだと思う。DXやデジタル化の看板など、どうでもいい。こういうことができる人間力こそが、最強の看板になる。
そんな人間力の本質は、誠実さだけではない。知識と見識、そして胆識が必要だ。
知識とは理解と記憶力の問題で、本を読んだり、お話を聞いたりすれば知ることのできる大脳皮質の作用によるものです。
知識は、その人の人格や体験あるいは直観を通じて見識となります。
見識は現実の複雑な事態に直面した場合、いかに判断するかという判断力の問題だと思います。
胆識は肝っ玉を伴った実践的判断力とでも言うべきものです。
困難な現実の事態にぶつかった場合、あらゆる抵抗を排除して、断乎として自分の所信を実践に移していく力が胆識ではないかと思います。
(山口勝朗著『安岡正篤に学ぶ人間学』より)
リーダーシップを発揮し、お客様の教師として、毅然と向き合える能力を磨くことが、営業の「蜂起」だ。
先のブログでも述べたように、製品やサービス、あるいは工数を売ることは、難しくなってゆく。ここで稼げるうちに、稼いでおくことは何も間違ってはいない。一方で、お客様は、正解のない時代に、正解を探している。結果として、何がビジネスになるのかは、依然、残るテーマではあるが、お客様にとってのかけがえのない相談相手になることが、これからの営業が目指すべき「あるべき姿」ではないだろうか。
最初に相談される相手
こう表現することもできるだろう。そうなれば、もはや競合は存在しない。自分たちができることとできないことを自分で仕訳すればいい。必要とあれば、お客様の取り組みを差配すればいい。
もちろん、たとえ案件にはならなくても、次の機会には、また「最初に相談される相手」になる。そんなお客様を沢山持てば、案件が、枯渇することはない。
流行言葉で自分を着飾ることはやめよう。DXなんてどうでもいい。そんなことより、「IT×ビジネス」のプロフェッショナルとしての知識、見識、胆識を示し、「最初に相談される相手」になることだ。
空っぽの箱に、DXなどと立派な看板をかかげて、「これ、ほしくありませんか?」とお客様を引っかけようというのは、姑息な手段だ。それよりも、「自分たちにも正解はないけど、一緒に正解を作りましょう!」と伝えるべきだ。そうやって、誠実にお客様に寄り添い、向きあい、空っぽの箱を自分たちで作った正解で埋め尽くそう。
正解がなければ、正解を作るしかない。営業は、お客様の先生となり、正解を作る取り組みのリーダーにならなくちゃいけない。そんな営業が、これからは必要になるのだと思う。