不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず
「いま何ができるか、何が得意かは重要だとは考えていません。必要とされるテクノロジーはどんどん変わります。だから新しいテクノロジーが登場したら直ぐに試してみる好奇心、そして、基本とか基礎とかを正しく理解していて、原理原則に立ち返って物事を考える人を採用するようにしています。」
数年前、ベトナムに行った時に、地元システム会社の採用担当者から聞いた話しだ。そういう人材は、きっといつの時代にも変化に翻弄されることなく、必要とされ続けるのだろうと気付かされた。
テクノロジーが変わることに臆するのではなく、むしろ歓喜して試してみる、やってみる人が時代を牽引してゆく。また、「新しいことが好きだから」というだけではなく、物事の本質を問い、原理原則に立ち返って新しいことを冷静に捉えることができる知識や態度がなければ、新しいことを活かすことなどできない。
これについて、先人は次のように語る。
「不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず」
松尾芭蕉が、奥の細道の旅を通じて会得した言葉だ。
時代を経ても変わることのない本質的な事柄を知らなければ基礎はできあがらず、変化を知らなければ新たな展開を産み出すことはできないという。
「その本は一つなり」
両者の根本ひとつである。
「不易」とは変わらないもの。どんなに世の中が変化し状況が変わっても絶対に変わらないもの、変えてはいけないものという意味。一方、「流行」は変わるもの。世の中の変化に従って変わっていくもの、あるいは変えてゆかなければならないもの。
「不易」のなんたるかを知っているからこそ、新しいこと、つまり「流行」の意味や価値を知ることができる。この両者を結びつけ新しい組合せを見出すことが、イノベーションの本質だ。それができる人材は、いつの時代にも必要とされる。
「流行」に惑わされず、「不易」つまり原理原則を問い、その時々の最適な「流行」を使いこなし、どんどんとこれを変えてゆく。テクノロジーの発展が急激にすすむいまの時代にあっては、あらためて、この基本に立ち返る必要がある。
テクノロジーの発展が既存の人間の仕事を奪うのは、いつの時代も同じだ。だからこそ、生き残り、成長してゆくためには、まずは原理原則を問い、時代の変化に応じたやり方を作る力が求められる。私たちは、そうやってテクノロジーと共存し、さらに豊かで魅力的な社会を作ってゆくことができる。
コロナ禍にあっても変わらない「不易」すなわち原理原則がある。いま注目されるテクノロジーやビジネスのキーワードは、そんな「不易」の体現である「流行」にすぎない。ならば、その「流行」を試し、それを生みだす原理原則たる「不易」を知ろうとすることだ。
「流行」という具体と「不易」という抽象の往復運動を繰り返すことで、私たちは、時代の流れを知り、ビジネスの道筋を見極めることができる。
コロナ禍は「流行」を加速するが、「不易」は変わらない。コロナ禍が終息したとき、世の中のあまりの変容に驚く浦島太郎にならないためにも、物事の原理原則を見極める努力を惜しんではいけない。