標高1000mという特別な場所に住まう
コーヒーをいつもより美味しく感じる
標高1000m、八ヶ岳南麓に居を構えた最初の頃、ふとそんなことに気がついた。都内の自宅で飲んでいる豆と同じだ。水かなと思い同じミネラルウォーターで入れてみたが、それでもやはりこちらで淹れるコーヒーが美味しい。
そして、思いついたのは沸騰点の違いである。標高1000mでの沸騰点は97度、この違いではないかと気がついた。ネットで調べてみると、コーヒーを入れる温度について、いろいろとうんちくが書かれている。いずれも、沸騰したお湯をそのままでは、苦みが強くてせっかくの香りや甘みを感じることができないと書かれているではないか。
そんなことには無頓着でコーヒーを淹れていたわけだが、図らずも標高1000mのコーヒーに、その違いを教えてもらった。そのおかげで、コーヒーと温度の関係について、いろいろと調べまくった。結果、温度を設定できる電気ポットを購入、さらに豆の煎り方に合わせて温度を使い分けるようになった。いろいろと試してみたが、豆を少々粗挽きにして、深炒りは83度、中炒りは88度、浅煎りは88度で淹れるのが、いまの定番となった。
水は、八ヶ岳の水道水がなかなかいいことも分かった。薪ストーブに乗せてあるスチーマーの底に真っ白な沈殿物が直ぐに溜まってしまうほどミネラルが豊富である。そのまま飲んでも実に美味しい水だ。これを豆に合わせた温度まで沸かし、40秒蒸らす、その後20秒間ゆっくりとお湯を注ぎ、20秒休み、そしてまた20秒間お湯を入れることを繰り返す。
どうでもいいことだが、標高1000mが教えてくれたことをきっかけに、ムダな知識を増やすことができた。いま、そうやって淹れたコーヒーを飲みながら、この記事を書いている。
標高1000m前後というのは、どうも特別の場所であるらしい。そのひとつが、気圧が母親の胎内と同じくらいであるということだ。だから安らぎと、心地よさを感じるのだという。
本当かと思って、調べてみたが、その論拠となる情報が見当たらない。ただの俗説であるのかも知れない。しかし、ここに通うようになって、「空気が違う」という実感はある。都会から通う近所の友人たちもこの点に於いては意見が一致する。それは森のせいかも知れない、車が少ないからかもしれない。しかし、それだけではなく、空気の質、そして心地よさは、そんな理由があってもおかしくないと感じている。
もうひとつは、空の青さだ。大気中の塵は、気圧の関係で800m以上には上がってこないそうだ。また、1年を通じて湿度が低く水蒸気が少ない。そのため、大気中に太陽光を散乱させる物質が少ないため、晴れた日の空の青さは、格別だ。
理屈はともかく、八ヶ岳ブルーと呼ばれる空の色は、この高さ以上でなければ見ることはできない。先日も、同じ地域の標高600mに住む大工さんと話したが、この空の色は、ここまで来ないと味わえないと言っていた。
もうひと、八ヶ岳南麓の魅力は、雪が積もらないことだろう。私が住む北杜市の降水量は1,138mmと全国平均(1,714mm)に比べて少なくなっており、日照条件に恵まれた地域である。 全天日射量(平年値)では、北杜市のある山梨県北西部は関東甲信越地域の中でももっとも日射量が多い地域となっている。雪が降っても年に数回程度、15〜20センチ程度積もっても、南麓に降り注ぐ日の光で直ぐに溶けてしまう。
気温は、-10度を下回ることはほぼない。特に昨今の温暖化のせいで、暖かくなっているようだ。ただ、夏は暑い。4年前にここを手に入れるとき、不動産屋のご主人曰く、「この辺りで30度を超えるのは年に3回程度」と言っていたが、とんでもない、ここ数年は35度になることもあり、なんか違うだろうと思っている。それでも、森と土に囲まれているので夜は涼しい。昼間も森に逃げ込めば涼を得ることができる。下の小川に行けば、天然のクーラーだ。不動産屋の売り口上とは違ったが、だからといって、ここの心地よさは、それをしのぐものがある。
さて、そろそろ東京へ戻る時間だ。いつもながら名残惜しい。だからまた戻ってきたいと思うのだから、「標高1000mという特別な場所」の魅力は、そうとうなものだ。