「知っているつもり」が「知っている」にならないように
DXの目的は、不確実性が高まる社会にあっても、企業の存在意義/Purposeを貫くことである。
そのためには、企業を存続させ、事業を成長させなくてはならない。自ずと、変化に俊敏に対処できる企業の文化や風土への変革は不可避だ。
そうなれば、デジタル技術を駆使することは、必然の手段となる。ただそれは、デジタル技術を使えば、できるという簡単なことではない。
デジタルがもはや前提となっている社会の新しい常識に合わせて、経営や事業のあり方を根本的に変えること、すなわち、既存のビジネス・モデルやビジネス・プロセスの「破壊・変革・創造」を行うことだ。
そんなDXに取り組むには、デジタル技術を使うことよりも、多くのことをしなくてはならないだろう。それは、収益構造や事業目的、組織や体制、雇用制度など、広範に及ぶ。DXとは、そんな取り組みの結果としてもたらされる「あるべき姿」の体現に他ならない。
少々、堅苦しい表現ではあるが、DXについての私なりの"いまの"解釈を文章にまとめてみた。こうやって、文章にしてみることで、自分の頭の中で、カオスにばらまかれた単語が、1つの筋道に沿って並べられ、伝えたいメッセージの意味が浮き上がってくる。
つまり、文章にすることで、それぞれの単語を構成要素とする論理的構造が明確となることで、始めて意味が見えてくる。
単語の羅列や短いセンテンスの箇条書きは、論理を考える素材としては、役には立つが、そこで終わってしまうと、分かったつもりになってしまい、結果として、意味を語ることができなくなってしまう。他人に「伝える」ことが仕事の要件になっている人たちには、これはかなり致命的だ。だからこそ、文章にしてみることは、仕事の基礎的なスキルを高める上で、とても効果的な訓練になる。
では、忙しい日常の中で、どうすれば訓練の時間を作ることができるのだろう。例えば、日報や週報を、文章を書くための定期的訓練の場として捉え、論理構造を意識した文章を書くように心がけてみるのもひとつのやり方だろう。あるいは、毎朝30分早起きしてブログを書く、寝る前に必ず日記を書くなども、そんな訓練の機会となる。
「その単語は知っています。意味も知っています。」と言う人は多い。しかし、単語を聞いたことがあるだけでは、使いようがない。また、意味は、複数の単語同士の相互関係によって、決まってくる。つまり、論理構造、あるいは物語として、それらをつなげて説明できなければ、意味を知っているとは言いがたい。
私たちは、仕事や日常の文脈の中で、様々な単語に接するが、その記憶だけを頼りに「知っているつもり」になってしまい、同様の文脈で使ってみると、まわりも違和感なく受け止めてくれるので、「知っている」と信じてしまう。「知っているつもり」の人たちのグループでの会話は、そんな自己勘違いであふれている。
まあ、宴会の席やどうでもいい雑談であれば、それもまた楽しい時間ではあるが、ビジネスの現場では、それは許されない。
とにかく文章を欠くための時間を、意図して増やしてみてはどうだろう。ビジネスに関わる者としての基礎的スキルとして、意識して磨いてゆくべきだと思う。
ご参考までに、文章を欠くための訓練課題を差し上げよう。これは、私が主宰するITソリューション塾で塾生の皆さんに差し上げている事前課題のひとつだ。文章にしてみることで、自分の「知っている」の状態が「見える化」されるはずだ。
人工知能の限界、つまり人間の知能と決定的に違うところはどういうところでしょうか?説明してください。